ドラゴンズ背番号物語「27」

 まいどまいどです。今回のドラゴンズ背番号物語は「27」。先ずはその歴史から。

水谷寿伸投手(昭和36~49)、貝塚博次投手(昭和50~53)、大河原栄捕手(昭和54~60)、内田強捕手(昭和61~62途中)、岩本好広内野手(昭和62途中)、小美濃武芳投手(昭和63~平成元)、松永幸男投手(平成2~8)、中野栄一捕手(平成9~15)、谷繁元信捕手(平成16~28)、大野奨太捕手(平成29~現在)

 プロ野球界では何故かこの「27」は捕手の代名詞の様な背番号になっていますね。古くは森(巨人)、大矢(ヤクルト)、伊東(西武)、古田(ヤクルト)などなど。ドラゴンズもご多分に漏れず捕手が多いですね。それに一人当たりの付けている期間が結構長い。そして今回ピックアップするのは谷繁捕手です。私はこの谷繁について、いろんな印象を持っています。早速書きますね。

 先ず現役時代。何とあの重労働の捕手でありながら、27年間も現役生活を送りました。その内の13年間が横浜。残りの14年間が中日です。ちょうど半々なんですが、私の中ではどうしても谷繁イコール横浜のイメージが強いんです。それは中日入団の経緯が結果的に、当時の中日のレギュラー捕手だった中村武志との交換トレード(中村を追い出した)みたいになったからだと思います。それにしても選手谷繁の成績は凄いですね。もう一度書きますが、あの重労働の捕手でありながら歴代最高の3,021試合に出場し、安打も2,108。もうこれはありえない数字ですね。数字のみならず、あの厳しい落合監督に「いなくなったら一番困る選手」と言わせるほどに信頼を得ていました。キャッチング技術やストライクゾーンとボールゾーンの見極めも完全で、佐々木審判は「審判員の間では世界一の捕手、って呼んでましたよ。多分ほぼ全員がそう思っていた。キャッチングは芸術品でもう断トツ。1位(谷繁)から2位までの間はしばらくいないと思う」とも言っていたようです。

👆 現役(横浜)時代の谷繁氏の打棒
👆 現役(中日)時代の谷繁氏

 次に監督時代。監督時代は谷繁にとって、不運で且つ納得がいかなかった時代だったのではないでしょうか?落合監督からは「良い指導者になれる人材」とも評価されていた谷繁。更にはその落合がGMに就任したのだから、きっとかなりやり易い環境を想像していたことでしょう。しかし結果は真逆。先ず落合GMは現場には一切顔を見せませんでした。なのでコミュニケーションはゼロ。更に自分で勝手に(現場の長である谷繁に何の打合せも説明もなく)選手に戦力外通告をしたり、コーチングスタッフを辞めさせたり入閣させたり。なので首脳陣の間の人間関係もかなりギクシャクしていたみたいです。そういう意味で、この時代の谷繁には同情すべき点がホント沢山ありましたねぇ。それにしてもこの時の落合氏は何故もっと谷繁に歩み寄らんかったんやろうか。未だもって疑問です。

👇 中日監督時代の谷繁氏

 そして現在。テレビ、ラジオの野球中継の解説やNHK BSの「球辞苑」に出ていますね。

 解説自体は軽妙で面白いですね。反面、投手の配球などには鋭く厳しいコメントも発せられます。でもいつもニコニコしているのは好感が持てますね。また球辞苑では、現役の選手やコーチから谷繁の話題がよく出るので、ゲストとして招かれていますね。ニコニコしながら選手やコーチを脅しています(笑)。

👆現在の谷繁氏