ドラゴンズ背番号物語「33」 後編

 まいどまいど。「33」郭源治の物語の後編です。

 前編で書いた様に、絶対的守護神として優勝に貢献した郭源治ですが、やはりストッパーという過酷なポジションは故障をともないがちです。平成元年以降はわき腹や太ももや腕を痛めたりしました。またその年のチーム事情によって、先発に回ったりまたリリーフに戻ったりと結構コロコロとポジションを変えられたのも郭にとってはツイていませんでした。

 現役最終年は1996(平成8)年。大恩人の星野監督の第二次政権の1年目でしたが、この時点で40歳、最年長の郭には一軍の居場所が無く、遂に一軍未勝利に終わりました。ただ、最後に母国の台湾プロ野球界に貢献したいという思いもあり、翌1997年から3年間、台湾で活躍して現役生活を終えました。

 途中、1988年には元フライトアテンダントの日本人女性と結婚。1989年には日本に帰化し佳久(かく)源治となるなど日本には思い入れがあり、現役引退後は名古屋市内で台湾料理店を開きました。私も数回食べに行ったことがあり、2007年11月18日には20人くらいでこのお店で宴会を行いました。その時の様子がこれ👇(ピンボケ画像で申し訳ありません)。郭さん、とてもサービス精神旺盛でよくおしゃべりしてくれて、写真撮影にも気軽に応じてくれました。この郭さんといい、亡くなった大豊さんといい、台湾の人は本当に気さくですね。

 残念ながらお店は2013年に閉店してしまい、郭さんも確か今は台湾で暮らしているのでは?また何らかの形でドラゴンズに貢献していただけると嬉しいですね。