まいどまいどです。ブランクが出来てしまいましたが、中村武志捕手の物語の中編です。試合中、試合後、休日 に分けてそれぞれ強烈なエピソードを書きますね。
★試合中 元々、星野監督はバッテリーに厳しく、特に捕手に厳しい人でした。それはやはり、捕手が扇の要でありチーム全体をまとめる司令塔でなければいけない、との発想からでした。なので、捕手に要求するレベルが高いのです。ある試合で、先発投手が逃げてばかりのフォアボール連発。星野監督が最も嫌う試合展開となり、当然逆鱗に触れることになりました。中村はその投手と共にベンチ裏で星野監督から愛の鉄拳制裁(笑)を受けました。それも何発も。遂に中村は鼻血を出してしまいました。そして運の悪いことに、その時、中村に打順が回ってきました。慌てて鼻にティッシュを詰めて打席に向かう中村。当然、相手チームの捕手は気が付き、「タケシ、その鼻どうしたんや?」と心配して声を掛けます。「いやぁ、いろいろとありまして・・・」と返す中村。更に中村はこの打席で見事ホームランを打ちました。当然ながらドラゴンズベンチは大笑いで盛り上がったそうです。
★試合後 これは今中投手の証言です。ある試合で今中が無様な投球をして星野監督の逆鱗にふれました。当然、試合後は愛ある(笑)お説教タイム。勿論、中村も同罪です。そこで星野監督が「タケシ、お前毎試合、ちゃんと反省ノートにメモはしてあるんだろうな!」と。「ハイ!」その場ではそう答えた中村。寮に帰ってから今中が中村に「中村さん、本当に書いていましたっけ?」と訊いてみると、中村はアッケラカンと「そんなの、オレが書いてるわけないやろ」と答え、次に「チュウ(今中のこと)、レポート用紙と新聞、それから砂を持って来い」と言いました。その時今中は「新聞は忘れてしまった試合経過を思い出すために使うんだろうけど、砂は何のため?」と思ったので、中村に「砂、ですか?」と聞き返した。すると中村は「新品のレポート用紙に書いて監督に渡したら、一発で一夜漬けだってバレるやないか。だから砂を付けて少し汚しておくんや」と。今中も思わず笑ってしまった中村なりの護身術だったんですね。
★休日 中村がスタメンで起用され始めた2年目の昭和63年、新人で立浪が入団しました。「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、この立浪と中村は鍛えまくられました。2月のキャンプから始まって、7月中旬のオールスター休みまで一日も休みは無かったそうです。例えばチームとしては移動日休日であっても、この2人だけは寮に隣接した室内練習場で必ずマシン打撃練習などが課せられていたそうです。ある休日練習の日、ユニホームの上着も着ずに打撃練習をしていたら、そういう日に限って星野監督が現れた。当然、2人とも怒られた。更に運の悪いことに中村は自分のバットではなく、他人のバットを使っていた。それが星野監督にバレて、怒り爆発。「お前、監督のオレにウソをついたな!」「ウソは許さんぞ!」。この言葉に鉄拳が加わって、救急車を呼ばなければいけない寸前の状態になったそうです。
こうやって書くと、星野監督が本当に超暴力監督で、中村が嫌々涙ながらに耐え続けていた、と思われがちですが、実情はそうでもなかったんですよ。その実情は次回の「後編」で書きます。

ということは、某監督の車の募集を見て入団した人か゛被害者になるのかな!?キャッチャーやる気満々だし。
私は会社で星野監督やりました(笑)
いえいえ、堀場手作りの募集ポスターを見てわざわざ電話してきた超貴重な人材ですよ。思い入れ一杯なので、たっぷり可愛がってあげますよ(笑)。