まいどまいどです。背番号41谷沢健一選手の中編です。
元々、大学時代からアキレス腱の付け根に原因不明の軟骨が出来ていて、疲れるとそこが痛んだ。プロ入り後は痛みが出る度に注射を打って、だましだましプレイしていたのだが、1978(昭和53)年。遂にそのアキレス腱が悲鳴を上げた。普通に歩くことさえ出来ないほどの激痛を感じる様になってしまった。この年は出場試合数も70だったため、年俸は何と35%減。翌1979(昭和54)年も春季キャンプ(宮崎県串間市)には参加したが、何も出来ずに1週間で名古屋に返って来ざるを得なかった。勿論、谷沢も手をこまねいていたわけではなく、日本全国の約30か所でいろんな治療を試みたが、どれもうまくいかず。失意の中、息子からは「お父さん、もう野球やめたんか?」と訊かれ、引退も覚悟した。
しかし開幕前。あるファンが熱心に何度も何度も電話をしてきた。そのファンの母親は半身不随だったが「福岡のある医者のマッサージを受けたところ、回復した」という。あまりに熱心に言ってくるので、谷沢もその人の顔を立てる、くらいの軽い気持ちで名古屋市内の某所に向かった。するとそこでは、福岡から来ていた小山田秀雄という医師が患部に日本酒を塗り込んでマッサージをする、という奇妙な治療を行っていた。当初、谷沢は「わけのわからないおじいちゃんがやっている胡散臭い治療法」とこの治療法を全く信じていなかった。しかししかし。血行が悪く、真夏でも靴下を履かなければならないほど足が冷える状態だったのが、この治療法を続けて3日も経つと、足がポカポカとしてきた。「これは自分に合うかもしれない」と思った谷沢は、福岡に帰った小山田医師を追った。そして10日ほど治療を受けた。これが痛いなんてもんじゃないくらいに痛い。でも「たくさん注射とか打っているから、5ヶ月くらいは我慢しろ。でも夏になれば絶対に走れるようになるから」と言われ、それを信じた。いや、それを信じるしかなかった。
👇苦悶の表情で酒マッサージの痛みに耐える谷沢
すると何と何と、おじいちゃんの予言は的中した。7月には少しずつ走れるようになり、8月には二軍の合宿にも参加。9月には一軍の試合で、代打でヒットも打った。しかしこれは奇跡の復活の序章。翌1980(昭和55)年には谷沢は完全に復活。まさに「帰って来たウルトラマン」になります。
この続きは次回。
痛そう~
まさに苦悶の表情ですね。
こんな映像よく手に入りましたね。
何故日本酒が効くのか良くわかりませんが
でも、これで奇跡の復活を果たしたんですからね~
宗さん コメントをありがとうございます。これは谷沢健一奇跡の復活とか検索すれば、出てくる動画ですよ。東海テレビの制作で、名物アナの吉村功さんのナレーションです。日本酒を患部に擦りこむことで、体に蓄積した毒素が外に出るらしいです。谷沢も最後の最後にこの治療法に出会えて本当に良かったですね。まさに執念ですね。