まいどまいどです。
前回、正岡さんの背番号「51」を書いた時に、この番号を付けた他の主な選手を紹介するのを忘れましたので、列記します。そして過去に「52」~「56」を付けた主な選手も列記します。
「51」 山北茂利投手(H15~16) 地元出身の長身の左腕投手でしたね。自称、和製ランディ・ジョンソンと言うてましたね。 京田陽太内野手(H29~30) 新人王も獲った内野手でしたが、「戦う顔をしていない」と当時の立浪監督の逆鱗に触れてトレードになってしまいましたね。 上林誠知外野手(R6~現在) 昨年からドラゴンズに加入(一昨年の秋にソフトバンクを自由契約)。今年は神走塁や勝負強い打撃で大貢献していますね。
「52」 田野倉利男(利行・利長・正樹)(S48~55) こんなに下の名前の登録名を変更した選手もいないですね(笑)。目が大きく金魚というあだ名でした。なのでセカンド田野倉、ショート宇野のコンビは、当時人気だった「たのきんトリオ」を真似て「うのきん(金魚のきん)コンビ」と言われていました。 小田幸平捕手(H21~26) ヒーローインタビューでは「最高で~す!」と言うてましたね。陽気な選手でした。 加藤匠馬捕手(H30~R3途中) 超強肩で「バズーカ」とも呼ばれています。これで打撃が人並だったら、間違いなくレギュラーでしたね。加藤翔平外野手(R3途中~6) ロッテから移籍の外野手。あの守備率10割の岡林にとっての外野守備の師匠がこの人です。
「53」 井手峻外野手(S46~51) 東大卒のエリート選手。守備固めが殆どでしたが、唯一打ったホームランの試合(昭和48年5月の後楽園球場のデーゲーム)はテレビで観ていて、今も鮮明に記憶しています。 川畑泰博投手(S60~H3途中) 第一次星野政権の時、少し先発で活躍していましたね。亀澤恭平内野手(H27 ~R1)元気者の左打ちの内野手でしたね。あだ名は勿論、カメちゃん。
「54」 小松崎善久外野手(S55~H1) クビ寸前だったが、星野監督に元気ぶりを買われて一軍昇格。貴重な右の代打になりました。松井達人外野手(H2~9) シュアな左打ちの外野手でした。そこそこまとまっていましたが、逆に「売り」が少なかったのとケガが多かった。神野純一内野手(H10~15)地元愛知工業大学出身の野球センス抜群の内野手。しかしケガが多くレギュラーは掴めず。余談ですが、背番号「0」の時に一試合3本塁打したこともあります。藤嶋健人投手(H29~現在)地元東邦高校卒でロングリリーフも連投もこなせる極めて使い勝手の良い投手。今年から選手会長に就任。
「55」 水谷啓昭投手(S54 ~55) 昭和57年の優勝に貢献した左腕投手。大豊泰昭外野手(H1→9)以前取り上げましたから説明は不要ですよね。福田永将外野手(H19 →R5)右の大物打ちとして毎年期待されていたが、イマイチ飛躍出来ずで終わったなぁ。細川成也外野手(R6~現在) 現役ドラフトでベイスターズから中日に。今年で3年目。今や押しも押されぬ主砲に成長。👇

「56」 前原博之内野手(S61 ~H6)地元の雄、県立岐阜商業出身の大型内野手。オールスターゲームに出て確か優秀選手に選ばれたこともあります。高校の大先輩の高木守道監督に「贔屓されている」と他のチームメイトから言われていた時期もありました(笑)。
では次回はドラゴンズの出世背番号と言われている「57」を取り上げます。