まいどまいどです。久しぶりになってしまいましたが、ドラゴンズ背番号物語の更新です。今回も「57」を取り上げます。3人目は英智(本名:蔵本 英智)です。
1999年に地元名城大学からドラフト4位で入団。同期には福留や岩瀬がいます。過去「57」で取り上げた2人(平野、彦野)に比べて実績は劣ります。でも何故、ここで取り上げたか。
1つ目の理由は、彼が堀場の小学校(岐阜県羽島市立竹鼻小学校)と中学校(同 竹鼻中学校)の後輩だからです(笑)。今まで在籍した全球団の多数のプロ野球選手のなかで、竹鼻小学校と竹鼻中学校の卒業生はきっといません。羽島市出身なら現役の読売の吉川尚輝がいますが、彼は別の小学校、中学校です。英智のお母様が、当時商売をしていた堀場の実家(総菜屋)に買い物に来て「もうすぐナゴヤドームに息子の応援に行くんですよ」とよく言っていたらしいです。生前の母から聞いた話ですが。
2つ目の理由は、彼が記録よりも記憶に残る選手だったからです。通算記録は12年在籍し、打率が.236で本塁打は11、打点は115です。俊足ですが盗塁も50しかありません。しかし、何より強肩ぶりが凄かった。やや遅咲きの6年目の2004年6月27日の甲子園での対阪神戦。葛城が打った大きなレフトフライ。三塁走者だった桧山は余裕でホームインと思われましたが、英智のレフトからのレーザービームが炸裂。ダイレクト返球で見事にホームインを阻止し、守備でお立ち台に立ったという珍しい経験をしています。このプレイは今でも動画で見ることが出来ますよ。この年の左翼 英智、中堅 アレックス、右翼 福留 は全員が俊足強肩で鉄壁の外野陣と呼ばれていて、決してレギュラー選手ではありませんでしたが、ゴールデングラブ賞も受賞しました。
その後も代走や守備固めとして重宝されましたが、ケガが多くレギュラー確保とまではいきませんでした。そして2012年を最後に引退を決意。ナゴヤドーム最終戦の試合後に引退セレモニーが行われ、その場で本塁から外野をめがけて遠投を見せ、110メートル先の右翼ポールを直撃。お客様からのアンコールに対応する形で、再度の遠投を行った。その投球は見事にライトスタンドに吸い込まれました。記憶に残るパフォーマンスでしたね。
引退後は「ファッションデザイナー」だったり「You Tubeへの投稿」だったり「テレビ・ラジオの解説者」として、独特の英智節を使いながら活躍しています。
※入団1年目の1999年。ドラゴンズファンブックに載っている英智の画像です。

堀場さんの小中学校の後輩だったんですね~
解説者英智の芸風は先輩譲り??
記録より記憶に残る選手でしたよね。
バックホームやキャッチで
記憶に残るシーンが沢山ありますもんね。