ドラゴンズ背番号物語「3」ミスタードラゴンズ立浪和義 その2 「負けん気の塊」

 肩痛で僅か30試合の出場に終わった1989(平成1)年のシーズンオフ。球団や星野監督から「(肩や肘の治療で有名な)ジョーブ博士のところで肩の手術を受けるように」と言われ渡米しましたが、結果的には「体にメスを入れて万が一復活出来なくなるよりは、肩の周囲の筋肉を鍛えて強くする」という方法を、立浪は選択しました。なので、本当に死に物狂いで自主トレからキャンプまでを過ごしたそうです。それはそうですよね。球団や星野監督の意向に反してまで自らの意思を通したわけですから。

 迎えた3年目の1990(平成2)年のナゴヤ球場の開幕戦に2番ショートでスタメン出場。その第1打席で横浜大洋の中山投手からセンターオーバーのホームランを打ち、見事に復活しました。立浪は22年間の現役生活で171本のホームランを打っていますが、「この日のホームランが最も思い出深い」と言っています。チームはこの年、4位と低迷しましたが、立浪個人は128試合に出場。打率.303と初の3割打者の勲章も得られました。

 翌1991(平成3)年も131試合に出場し打率.290、1992(平成4)年は指の故障などもあり98試合の出場にとどまりましたが、打率は.301を記録。またこの年から守備位置がショート→セカンドになりました。立浪の守備位置変更の希望を当時の高木監督が認めてくれたのでした。

 そして 6年目の1993(平成5)年から20年目の2007(平成19)年まで「15年間、立浪は毎年ほぼ全試合に出場しています」。文字で書けばこれだけのことですが、これは本当に本当にすごいことだと思います。

 立浪は新人王やベストナイン、ゴールデングラブなどは受賞していますが、首位打者などのいわゆる打撃部門のタイトルは一度も獲得していません。それでも立浪がミスタードラゴンズと言われるのは、やはりあの小さな体で、休むことなく、つまり大きなケガや大きなスランプに陥ることもなく(勿論、本人の努力の成果です)試合に出続け、ここ一番の勝負強い打撃で、何度も勝利に貢献したことがファンを感動させたからでしょう。いわゆる「記録よりも記憶に残る選手」だったからと思います。

 21年目の2008年は森野将彦にサードのレギュラーを奪われ代打に徹しましたが、打率.205に終わってしまいました。すると22年目の2009年シーズンを前に「この年で引退します。最後の1年です」と宣言し、自らにプレッシャーをかけました。結果、現役最終年で何と驚異の打率.318を記録。最後まで負けん気を貫いた見事な選手でした。

                                             続きは次回