今回は、堀場が新卒で19年間勤務しました(株)ポッカコーポレーション時代の4年後輩の本田寛昭くんの追悼ブログです。ポッカ関係者以外の人にはわからないと思いますが、ご了承ください。
6月24日(水)の夜、本田くんの娘さんから「父 寛昭は去る6月20日に闘病の末、永眠いたしました」というLINEが届きました。青天の霹靂とはまさにこのこと。驚きと悲しみで、失礼を承知しながら、思わずこの娘さんにLINE電話をしてしまいました。1年前くらいから体調が良くなく入退院を繰り返していたようです。最後は6月10日頃に入院し、その10日後に亡くなられた、とのことでした。死因は一言で言えば「癌」です。
本田くんは1987(昭和62)年にポッカに入社しました(入社時の社報がこれです)。⤵

4月~東京支店に配属になったので、中野区の2DKのマンション(ポッカの独身寮)に住んでいました。遅れること1か月。5月~ポッカ東京支店勤務の辞令が出た堀場は、本田くんと相部屋になりました。当然ながら一緒に出勤したり、食事に行ったりした機会が多くよく話しました。出身が兵庫県ということもあり、結構熱烈な阪神ファンでしたね。
本田君について印象に残っていることが3つあります。先ず1つ目はすごく言葉遣いが丁寧だったこと。前述した様に堀場が4つ年上ですので、ある意味では当然ですが、それにしても丁寧で(これは堀場にだけではなく、他の先輩に対しても)、時々「もう少しくだけた話し方で良いよ」と言ったこともありました。2つ目は洗濯物について。堀場は超アバウトな性格ので、近くのコインランドリーに行き乾燥機にかけてから、部屋や室外で乾かすだけでしたが、本田くんは真逆。必ず折り目を揃えて丁寧にアイロンをかけていました。「堀場さんの分もやりましょうか?」と訊かれたこともありましたが、流石にそれは遠慮しました(笑)。3つ目はお風呂について。お風呂洗いは殆ど毎日、本田くんがやってくれました。別に先輩面して「やっとけよ」と言ったわけではないですよ。自主的に率先してやってくれました。何せ全てにキチンとしていましたので、とてもかわいくて堀場としては思い入れの強かった後輩でしたね。
そして半年後の10月くらいに水戸支店に欠員が出たので、同期の中で最初に2回目の辞令をもらって転勤していった記憶があります。その時も「まだここにいたいですよ~」と寂しがっていたと思いますが、会社からの命令ですから転勤に従いましたね。勿論、寮にいた社員全員で送別会をしてあげました。その後は会う機会も少なくなりましたが、結婚式に招待され二次会にも参加しました。年賀状のやり取りも続きました。また1月の誕生日にメッセージを送ると、間違いなくその日にお礼の返信が届きました。近年は「ポッカサッポロを正式に定年退職したら、OB会にも入りますので宜しくお願いします」というLINE会話もしていただけに、本当に残念でなりません。
最後に。堀場はポッカを退職する前日(2002年3月12日)に、相当数の社員に最後のご挨拶のメールを送りました。そのなかには勿論、本田くんも含まれていて、翌13日に本田くんから返信のメールをもらいました。それがこれです⤵

読んでいただいてわかります様に、本田くんは「私も残った以上、なんとかポッカをいい会社に出来るよう微力ながら貢献したい」という決意でした。そしてキチンとした性格の本田くんのことなので、自分の言葉に反することなく頑張っていたと思います。もう十分に頑張ったので、休んで良いよ。ご冥福をお祈りします。
堀場さん、ご無沙汰しています。本田君と同期だった坪井です。
彼が闘病中だったことも知らず、突然の訃報驚きました。
最後にあったのは5年前、コロナ禍が明けそうな時期、ひとり沖縄にドラゴンズのキャンプを観に行った時でした。飲食店もまだ休業中が多い中、彼の馴染みの店を特別に開けてもらって食事したのが最後。一緒に北谷もと誘ったら、行くわけないだろと笑って断られた。いつか阪神対中日の試合行こう、も叶わなくなって残念でなりません。堀場さんもお元気でお過ごしください
お~っ、坪井君!超超超久しぶりやなぁ~。そっかぁ。そんなことがあったんかぁ。ま、でも5年前とはいえ、会えてよかったやん。ホント、良い奴だったから残念だなぁ。堀場はお陰様で元気だよ。坪井君も元気でご活躍される様にお祈りしています。しかし坪井君が1人でドラゴンズキャンプを観に行くほどのファンだったとは、それにも驚いたよ(笑)。ちなみにその時、本田くんは沖縄勤務だったのかな?
ホントお久しぶりです。彼はその時は沖縄で子会社の社長をしていました。セミ・リタイアした私の夢はドラゴンズの優勝を見たいことですが、そのためには相当長生きしないといけないかと思うようになりました(笑)