ドラゴンズ背番号物語「3」ミスタードラゴンズ立浪和義 その3 「名選手必ずしも名監督ならず」

 まいどまいどです。背番号「3」立浪の3回目です。今回は現役引退後のことを書くので、厳密には背番号「73」ですけどね。

 2021年秋。立浪は満を持して、そして沢山のドラゴンズファンの期待を一身に受けて、監督に就任しました。誰もが立浪に、プロ野球に入ってからの師匠である星野仙一氏をダブらせ、「きっと直ぐに成果を出してくれるに違いない」と大いなる期待をしました。 

 3年間監督を務めました。1年目はビシエドの衰え、2年目は新外国人アキーノが、3年目は巨人から移籍の中田翔が全く機能せず。そして要望し続けたホームランテラス席の設置も成されず。そしてその結果はまさかまさかの3年連続最下位。大きく期待を裏切りました。

 立浪自身の監督としての器の問題もあったようです。①打撃に関しては就任時に「打つ方は必ず何とかします」と言って、打撃コーチを差し置いて自ら打撃指導を行い、それも立浪自身の打撃理論を強いることが多く、その理論に従わない選手は起用しなかった(という噂) ②なので、「監督は聞く耳を持たない」とコーチ陣との間に埋めがたい溝が出来た ③選手時代からカリスマ性が高かっただけに、コーチや選手から「意見が言えない雰囲気(オーラ)」を醸し出していた というのです。

 例えば星野監督は特に第2次政権の時は、口を挟みたくなる投手指導や投手起用も全て山田久志投手コーチを信頼し任せていました。落合監督も投手については就任期間中全てを森繁和投手コーチに任せ、一切の口を挟まなかった。打撃についてもコーチに「絶対にこちらから選手に教えに行くな。訊いてきたら丁寧に教えてやれ」と言って一任しました。なので落合監督が選手を直接指導するということは殆どありませんでした。

 つまり両監督ともコーチを指導・教育して、そのコーチが選手を指導していたのです。しかし立浪には残念ながらこれが出来なかったんですねぇ。

 現役時代は選手の上に立ち選手をまとめる役割でした。また打撃投手やトレーナーなどの裏方さんに必ず遠征時のお土産などを手渡す、という気配りの人でもありました。それでも1軍の「将」としては機能せず終ってしまいました。

 こういう話を書くと、同じ様に思い出す監督がいます。以前、オリックスを率いた石毛監督です。石毛は西武ライオンズの現役時代、キャプテン(チームリーダー)として見事に個性的な多くの選手をまとめていました。しかし監督(マネージャ)としては結果を出せませんでした。やはりコーチを上手く機能させられなかったのでしょうか?

 いずれにしても「自分でやる能力と他人にやらせる能力は全く別物」そして「名選手必ずしも名監督ならず」を、残念ながら見事に証明してしまいました。