ドラゴンズ背番号物語「1」 プロ野球史上最高の二塁手 高木守道 番外編「第2次政権 監督時代」

 ドラゴンズ背番号物語、高木守道の番外編は2012年、2013年の第2次政権の時の話題です。そもそもこの第2次政権の誕生のプロセスからして、少し高木には不運でした。

 2004年から指揮を振った前任の落合監督は、8年間で優勝4回、日本一1回と輝かしい成績を残し、特に最後の2010年と2011年は球団史上初の連覇を成し遂げました。しかし勝ってもナゴヤドームにファンが足を運ばず、観客動員数は頭打ちが続きました。今と真逆ですね。加えて落合監督が「オレは新聞を読まないから」と語ったことで、この東海地区の中日新聞販売店から猛烈な抗議が、球団や親会社の中日新聞に届きました。流石にこうなると落合監督を続投させるわけにはいかず、誰か後任監督を見つけなければならない。その時に白羽の矢が立ったのが高木でした。高木はこの時点で既に70歳を越えていましたし、第1次政権終了時に自身の監督としての能力にも限界を感じていたので、決して監督をやりたいわけではありませんでした。しかし球団からの説得に折れて、敢えて火中の栗を拾ったのです。ここがファンを大事にする高木の優しいところですね。

 結果、2012年は2位。それもクライマックスシリーズのファイナルステージでは、巨人に3連勝しながらあと1勝が出来ずに3連敗し3勝4敗で敗退してしまいました。まるで1994年の10・8の再現の様でした。翌2013年は開幕から調子が上がらず、1990年以来23年ぶりのBクラス(4位)。それもセ・リーグ全5球団に負け越しという不名誉な内容でした。

 以前も書きましたが高木の場合、選手としては抜群の能力があったと思います。天性の攻走守のバランスや自身に課す努力など、最高の選手でした。しかし、基本、無口で決してコミュニケーション能力が高いわけではありません。これは監督としては致命的で、選手やコーチと意思疎通を欠いてしまいがちでした。実際に権藤や今中といった投手コーチや平野外野守備走塁コーチとももめました。そして極めつけは2013年5月15日の日本ハム戦。1つのプレーを巡って井端とちょっとした口論となり、ベンチ裏まで井端を追いかけて行ったことがありました。「瞬間湯沸かし器」「暴走老人」と言われた所以でもあります。ちなみにこの模様は最初から最後までテレビに映ってしまい、その後も(今現在も)You Tubeで視聴出来てしまいます。

 この様に、最後の方はちょっと高木にとっては辛い年になってしまいました。それでも2020年1月に急性心不全で亡くなるまでは、テレビやラジオでの解説やサンデー・ドラゴンズに出演するなど元気に活躍していましたので、あまりにもあっけなく突然な死でした。改めてここでご冥福をお祈りします。

 2013年のシーズンを終えて、ファンに挨拶する高木監督。⤵

 ※長きにわたりお楽しみいただきました「ドラゴンズ背番号物語」ですが、次回が最後のピックアップになります。最後を飾るのは勿論あの人。星野仙一さんです。ご期待ください。