まいどまいど。今年も遂に12月になり、徐々に慌ただしくなってきましたね。この時期にやらなければいけいないことの一つが年賀状。今は昔よりも作成が簡単になりましたが、といってもそれなりに時間と労力は要しますね。
ちなみに私は昨日(12月11日(土))、約300通の年賀状の宛名と裏面の印刷は全て終わりました。あとは裏面にそれぞれの人に向けた一言メッセージを書くだけです。さてその年賀状ですが、今までの人生で3回、メチャクチャ嬉しかった年賀状があります。それを順番にご紹介します。
最初は中学3年生になる1975(昭和50)年春に、当時恋心を寄せていたH・Yさんからいただいた年賀状です。勿論、今の様にパソコンがあるわけではないので、全て手書き。「My Pace」と書いてありました。その年賀状については、色とかデザインやレイアウトも全て今でも憶えていますよ(笑)。クラスメイトだったのですが、あまり話をしなかった(照れくさくて話が出来なかった)からなのか、年賀状を貰えたことがとにかく嬉しかった。それだけ大好きだったんだろうなぁ(笑)。
2回目は1988(昭和63)年の正月過ぎに、勤務していた(株)ポッカコーポレーションの谷田社長からいただいた初の年賀状です。谷田社長には入社してから毎年欠かさず年賀状を書いておりましたが、返信を貰ったことはありませんでした。ところが、1988年の年賀状に「星野監督の様な人間になることを目標に頑張ります」と書いたところ、谷田社長から「素晴らしい目標です。頑張ってください!」のコメント付きの返信の年賀状が届いたのです。谷田社長も名古屋出身なので勿論、大のドラゴンズファン。それに前年が星野監督の一年目で2位に大躍進(その前の年は5位)したので、余計にタイムリーだったんですね。超雲の上の存在だった谷田社長から、当時27歳の若輩者の自分に年賀状が届いたことがメチャ嬉しくて、翌日の朝礼で年賀状の実物を持って誇らしげに発表したことも憶えています。
そして3回目は2003(平成15)年の正月に届いた星野監督(当時は阪神の監督)からの年賀状ですね。星野監督には10年以上ず~っと年賀状は出しておりましたが、返事を貰ったことはありませんでした。そりゃそうですよね。中日球団や野球界やマスコミ関係者でもない一介のファンに返事を出していたらキリがないと思っていたので、返事なんて全く期待していませんでした。でもそれが2003年、帰宅したら星野さんからの年賀状が届いているではありませんか。そりゃぁ、ぶったまげましたよ(笑)。家の中を走り回って喜んだことを憶えています。きっと正月3ヶ日に届くように出されたのでしょうけど、住所が以前住んでいた福岡市西区姪浜になっていたので、名古屋の自宅に届くまでに少し時間がかかったみたいです。本当は中日の監督としての年賀状が欲しかったのですが、これでも十分です。この後も星野さんからは10回にわたり、年賀状を貰えました。全てラミネートして大切に保管しています。本当に私の最大の宝物です。

