時は1977(昭和52)年。当時の東京6大学野球は、江川投手(後に巨人)、袴田捕手(ロッテ)、植松外野手(阪神)、島本外野手(巨人)などが主力の法政大学の黄金期。対して早稲田大学は山倉捕手(巨人)や岡田内野手(阪神→オリックス)など。慶應大学は堀場捕手(広島→巨人)などが主力として法政に立ち向かいます。そして明治大学は鹿取投手(巨人→西武)や高橋投手(中日)の二枚看板に加え、豊田外野手(中日)が江川に8打数7安打と江川キラーぶりを発揮して食らいつきます。私はその頃からの豊田さんファンです。※下の写真は明大3年生の豊田さんです。当時購入した大学野球関連の雑誌を今も捨てずに持っていて、そのなかにある写真の一つです。
卒業後は我が愛するドラゴンズに入団してくれて、メチャクチャ嬉しかった記憶があります。現役時代の10年間も勿論、応援していました。一昨年、豊田さんが経営する居酒屋「おちょうしもん」を知り通い始め、今では携帯番号を交換するまでの関係になりました。その豊田さんが中京スポーツで連載(毎週月~木掲載)を開始しました。それを週単位でまとめてお送りします。先ずは1~4回目までです。是非お読みください。
豊田さんが「江川キラー」と言われるのは知っていましたが、明治大学でのキラーぶりはあまり知りませんでした。明治魂(島岡魂)の凄さに感服しました。さすが豊田さん。
兼康さん コメントをありがとうございます。仰る通りで、江川の在学中、法政(江川)を最も苦しめたのは早稲田でも慶応でもなく明治でした。島岡監督が先頭に立って檄を飛ばしていました。豊田さんはその島岡イズムを最も受け継いでいたからでしょうね。