まいどまいどです。今回は彦野利勝の4回目(最終回)です。
順風に思えた彦野の現役生活ですが、1991(平成3)年に大きなアクシデントに襲われてしまいました。6月18日のナゴヤ球場での出来事です。横浜大洋の盛田幸紀からレフトへ弾丸ライナーのサヨナラ本塁打を打ったのですが、一塁ベースを回ったところで転倒してしまいます(下の1枚目の画像)。「足を滑らせて或いは足を踏み外して捻挫したのかな」なんて思っていたのですが、想像以上の重傷で立ち上がれません(2枚目の画像)。やむなく代走に山口幸司を起用。山口が代わりにホームインしました。

これは

その後の検査で右足の靭帯が断裂していることが判明。長期離脱をすることになりました。この彦野の離脱の影響は大きく、この年は最後の最後に広島に競り負けし優勝を逃してしまいました。シーズン後の会見で「言い訳にしたくないが、やはり6月のヒコの離脱が痛かった」と星野監督が語りました。
ちなみに靭帯とは骨と骨とを繋ぐ強靭な結合組織の短い束のことで(ここです👇) 、これが断裂(切れて裂けてしまうこと)してしまったのです。いやぁ、こうやって書いてるだけで怖いですね。

当然ながらこの年と翌年は治療とリハビリ活動が殆どで、出場試合数は激減します。しかし翌々年の1993(平成5)年には95試合に出場。そして更に1994(平成6)年には何と何と118試合も出場し、レギュラーに再定着。規定打席はクリアし自己レコードの打率.284をマーク。オールスターゲームにも出場し、ナゴヤ球場の第2戦では優秀選手まで獲得。当然、シーズン後にはカムバック賞も受賞することになりました。凄い活躍でしたね。
しかし1995(平成7)年くらいから試合数が徐々に減少。1998(平成10)年には韓国からリー・ジョンボムが入団したので、背番号8を譲り入団時の背番号57になりました。余談ですがこの年、堀場は㈱ポッカコーポレーションの長崎営業所に転勤になり、長崎市に住んでいました。そして車で3時間かけて、当時、福岡市の外れにあったダイエーの二軍グランドにウエスタンリーグの試合を観に行きました(その年、一軍は九州で試合が組まれていないことがわかっていたので)。そこに四番打者 彦野の姿があり、感激しました。そしてこの年の10月に引退試合を行ってもらって、引退しました。
今は中日スポーツの評論家として活躍中。You Tubeでは元 広島カープの高橋慶彦と軽妙なトークをしています。
彦野と言えばこの事件?事故?
ですよね~
確か仕事帰りの車のラジオで
聴いた記憶があります。
サヨナラホームラン!!
やったーと思いきや、
何が起きたんだ??
大したことないと思ったんですけど
靭帯断裂ですからね~
でも奇跡の復活でカムバック賞ですから
第二のピークを迎えた感がありましたね。
ただ、やっぱり靭帯とかアキレス腱とか
一度やっちゃうと駄目なんですかね。
カムバック賞のあと衰えるの早かったですね。
でもあの復活劇は凄かったです。
宗さん いつもコメントをありがとうございます。野球選手の足のケガで重症になるのは、靭帯(彦野、吉村<巨人>)、アキレス腱(谷沢<中日>、門田<南海など>、前田<広島>)の2つですかね。皆、日常生活さえ出来なくなる可能性すらあったのに、そこから復活したんですから尊敬に値しますよね。