まいどまいどです。ドラゴンズ背番号物語を更新します。今回は「59」ですが、その前に前回の「57」で取り上げた3人(平野、彦野、英智)以外の選手と「58」の選手に触れておきます。
「57」・・・ピックアップした3人以外にはあまり活躍した選手はいないのですが、敢えて言えば、1993(平成5)年の入団から2年間付けた野口茂樹投手と、入団6年目の1996(平成8)年から2年間付けた小島弘務投手ですかね。野口はこの時は本当にノーコンのイメージでした。この後、「47」になってから徐々に活躍し始めましたね。またしゃくれ顎の小島は「21」のイメージの方が強いですが、当時のダイエーから移籍してきた村田投手にこの番号を奪われました。よく死球を出していました。きっと当時星野監督から「ヒットマン」に任命されたのでしょうね(笑)。
「58」・・・この番号もそんなに活躍した選手はいないですが、敢えて言えば星野監督時代にワンポイントの左腕として活躍した江本晃一投手が1985(昭和60)年~1989(平成1)年の途中まで付けたのと、意外性のある元気印のガッツマン外野手の大西崇之が1995(平成7)年~2005(平成17)年まで付けましたね。
さてそれでは本題の「59」です。タイトルの横に書いてある針金男、ガッツマン、ピラニア、で分かった人も沢山おられるでしょう。そうです、正にこれは上川誠二ですね。1982(昭和57)年の入団から3年間この番号を付け、その後2年間は「6」を付けました。この上川には5つも驚かされましたねぇ。順番に書きますね。


①「キャンプで骨折するも、針金入れて即復活」 これは新人のキャンプ時代。ノックの打球がイレギュラーして上川の下顎を直撃。顎や歯を骨折したのですが、包帯まいたり針金を入れて固定して数日後に練習に復帰。この闘志に驚き感激した、当時の近藤監督が直ぐに一軍に昇格させたという有名な話です。②「あの江川からサヨナラヒット」 新人のこの年、中日は江川を大の苦手にしていました。5月7日の対ヨミウリ戦(ナゴヤ)。この日は3-3の同点で9回裏を迎えました。何とか一死二、三塁のチャンスを作り、打者は上川。初球を狙った打球は、江川の左を抜けて二遊間へ。篠塚が何とか追いついてバックホームしましたが、三塁走者の宇野の好走塁でサヨナラ勝ち。喰らいついたら離れないピラニア打法の真骨頂でした。③日本シリーズで敢闘賞 更にこの年、ドラゴンズはセ・リーグ制覇し、西武との日本シリーズに挑みました。1勝1敗で迎えた西武球場での第3戦では逆転ホームランを、ナゴヤでの第6戦では同点タイムリーを打ちました。シリーズ通算では21打数6安打6打点で見事、敢闘賞に輝いたのでした。④牛島などとともに4対1の大型トレードでロッテへ ライバルの田野倉を押しのけレギュラーを確保した上川でしたが、5年目を終えた1986(昭和61)年の12月。当時ロッテの落合を獲得するために、牛島・桑田・平沼とともにトレードになりました。牛島は最後まで移籍を渋っていましたが、上川は「プロ野球の世界にいる以上、トレードは付きもの」と割り切っていました。とても潔くてカッコ良かったですね。
そして5番目の驚き。これは時系列的には本当は③と④の間の1984(昭和59)年の出来事なのですが、あまりに衝撃が大きかったので勿体ぶって最後に回しました(笑)。⑤ミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場したほどの美人の奥様、檜山久恵さんと結婚 いやぁ、これはホント驚いた。「何でこの決してイケメンではない上川にこんな美人の奥様が(笑)(失礼)?」と思いました。ダメ元で「上川の奥様」と検索したら、何と画像がありましたので添付しますね。いやぁビックリした(笑)。

