まいどまいどです。久しぶりになってしまいましたが、ドラゴンズ背番号物語です。今回は「68」です。ピックアップするのは島野育夫さんです。
栃木県の名門「作新学院」を卒業後、ノンプロを経て中日に入団。その後、南海→阪神と渡り歩き1980(昭和55)年に現役を引退。そのまま阪神の一軍外野守備・走塁コーチに就任。そして1986(昭和61)年から中日の外野守備・走塁コーチに就任しました。下の画像は1988(昭和63)年のドラゴンズ・ファンブックからの抜粋です。

1987(昭62)年からの第1次星野政権では木俣総合コーチがNo.2的な役職だったのですが、性格的におとなしくとても星野監督に進言出来るようなタイプではありませんでした。なので、現実的には島野さんが既にヘッドコーチ的役割を成していたようです。そして1996(平成8)年からの第2次星野政権になると、肩書が「ヘッドコーチ」となり「背番号77番の星野監督を後ろから支える」という意味で、島野さんの背番号も78になりました。⤵

星野-島野。そもそもこの2人が出会ったキッカケは、星野さんが新人時代の1969(昭和44)年に当時ドラゴンズにいた千原陽三郎という先輩内野手が、既に南海に移籍していた島野さんに「この男(星野さん)は将来、ドラゴンズの監督になる男だ。シマ、その時にはこの男を助けてやってくれぃ」と言って、2人を引き合わせたことです。
そして18年後の1987年からこのコンビがスタートします。島野さんの一体何が凄いのか。これは次回に書きますが、そのヒントは上の画像の「すべての面で星野監督をサポート」というコメントです。当時のドラゴンズに関わった全員が「島野さんがいなくては、星野さんは名将になれなかった」というほどなんです。
※続きは次回