まいどまいどです。
今回は「28」を取り上げます。その歴史は、江藤省三内野手(S44~51)、都裕次郎投手(S52 ~H1)、小川宗直投手(H2 )、スコット・アンダーソン投手(H3~4)、鶴田泰投手(H5~8)、大塔正明投手(H9~12)、中里篤史投手(H13~15)、石川賢投手(H16~17)、チェン・ウェイン投手(H18 )、田中大輔捕手(H19 )、小田幸平捕手(H20 )、岩田慎司投手(H21~28)、丸山泰資投手(H29~30)、梅津晃大投手(H31~R2)、森博人投手(R3~現在) とこんな感じです。
江藤(8年間)と都(13年間)と岩田(9年間)以外は結構、短命ですね。でも鶴田や中里やチェンなど記憶に残る選手も何人かいますね。そんななかスポットライトを当てるのは「♪~代打男の江藤君~♬」と迷いましたが、やはり1982年の優勝の立役者の都投手ですね。
この都は自分より2歳年上で、当時のドラフトの時の目玉は長崎海星高校のサッシーこと酒井圭一投手や東海大相模の原辰徳内野手でした。全国的には無名の選手だったので、ドラゴンズがドラフト1位指名した時はビックリしました。そしてその名前にもビックリ。都はるみの都と石原裕次郎の裕次郎を合わせたビッグスターの名前ですからね。しかしその派手な名前とは真逆で、性格は朴訥で真面目。ウケないダジャレを連発する様な茶目っ気も持ち合わせていたみたいです。
入団後2年間は二軍暮らしが続きましたが、3年目の1979(昭和54)年にプロ初勝利をあげました。そして1982(昭和57)年は、先発の大黒柱だった小松辰雄がケガで開幕早々に戦線離脱する中で、郭源治や三沢淳などとともに先発ローテーションを死守。メチャクチャな快速球があるわけでもなかったのですが、スライダーやカーブとのコンビネーションが抜群。結果、16勝5敗の勝率 .762はリーグ最高の栄誉に輝くなど、投手陣を牽引しました。この年の印象がメチャ強いので、もっともっと勝っていた投手かと思いきや、その後に2桁勝利(13勝8敗)したのは2年後の1984(昭和59)年だけ。1985(昭和60)年以降は肩痛や腰痛に苦しみ僅か2勝しただけで、1989(平成1)年を最後に引退しました。通算でも48勝36敗は意外に少なかったですね。
しかしこの都の凄いところは現役引退後も、ほぼず~っと中日球団に関連していることです。打撃投手やスコアラー、二軍投手コーチやビデオ(映像)係兼任スコアラー。2022年からは査定担当係とその仕事も多種にわたっています。誰からも「裕ちゃん、裕ちゃん」と慕われ、人間的に誠実なところが魅力なんでしょうね。学ぶところ大です。
ちなみに都の1つ年下には、あの鼻っ柱の強い小松辰雄がいますが、小松も石川県の田舎から高卒で入団したので、都のことをすごく頼りにしていたみたいですよ。


堀場さん
遅ればせながら
あけましておめでとうございます。
本年もブログ期待しています。
28番は慶応ボーイらしくない代打男の江藤か
滋賀の星、都か大体はどちらかでしょうが、
私的には未完のまま終わった「未完の大器」、
「ガラスのエース」中里でしょうかね。
怪我が多かったというか、怪我ばかりでしたから
万全の状態でのピッチング見たかったな~
宗さん、今年最初のコメントをありがとうございました。中里・・・、不運としか言いようがない、ですね。一説には同僚のA・K投手がちょっとしたいたずら心で押したことで階段から足を滑らした、とも聞いていますが。真偽のほどはわかりません。