鈴木孝政のエピソードの後編、最終です。
1982(昭和57)年に逆転サヨナラ満塁本塁打を長崎に喰らってリリーフ失格となってしまった鈴木孝政ですが、同じ年の7月1日の対巨人戦(ナゴヤ球場)で見事に先発投手として復活します。この試合に今季3度目の先発をした鈴木。試合は0-0のまま続きました。6回裏、助っ人モッカがレフトスタンドへ13号ソロホームランを打ちました。その虎の子の1点を鈴木が守り抜いたのです。球数88球という超省エネ投法で何と入団10年目にしての初完封でした。👇
そして鈴木孝政が師と仰ぐ星野仙一さんが監督になった1987(昭和62)年も9勝6敗と踏ん張りましたが、チームの若返りを図った星野監督から引導を渡されます。
1988(昭和63)年。日本シリーズで西武ライオンズに負けて名古屋に帰る新幹線の車中。星野監督から隣の席に座る様に命じられました。座ってはみたものの星野監督とは全く会話無し。名古屋駅に到着寸前になって星野監督から「来年、どうするんや?」と訊かれた(暗に「もう潮時や、引退せえ」という意味だということは直ぐに分かった)そうです。しかし鈴木の口から咄嗟に出たのは「もう1年だけやらせてください」という言葉。それを聞いた星野監督が今度は「そうか・・・。わかった。来年はもう二軍に落とさないから」という言葉で返したそうです。
そして最後の1989(平成元)年。鈴木は何とも居心地が悪かったそうです。普通なら選手間でし烈に争う一軍投手枠。それを鈴木にだけは成績に関係なくお客さんの様にずっと確保してある。「プロ野球選手でありながら、プロ野球選手ではないような複雑な気持ちの一年間だった」と語っていました。
なかなかドラマチックな鈴木孝政の17年間の現役生活でした。今はドラゴンズのOB会の会長をやっています。昔よりもすんごく太って、首が無くなってしまったのが残念かな(笑)。
やっぱり星野監督は最高、タカマサは同学年だから、もっと頑張って欲しかったな。
そうですか。もっと頑張ってほしかったですか(笑)。堀場は孝政はかなり頑張ったと思いますが、昨今選手寿命は延びていますから、そう思われるのも当然かもですね。
今のように1イニング限定で抑えに限定して
使われていたなら、もっと凄い記録を
作っていたかも知れませんが、
奇跡の復活?はなかったかもしれませんね。
復活したおかげで、唯一公式戦で
長嶋親子と対決した投手になれたのだから
まぁそれも良しですかね。
そうそう。唯一公式戦で長嶋茂雄、一茂の両方と対戦した投手なんですよね、鈴木孝政は。それを書くのを忘れてました。ご指摘いただき、ありがとうございました。