まいどまいどです。
唐突ですが、上の言葉👆の意味ご存知ですよね?念のためですが、こんな意味です。
「何事もやり過ぎることは、やり足りないことと同じくらい良くない」という意味で、中庸が大切であることを例えている。中庸とは、どちらにも偏らず中正なことを指す。
最近話題になっている「BIG MOTOR」(以下BM社)の一連の報道を見ると、この言葉を思い出します。きっとこのBM社も創業者が立ち上げた頃は真面目に真摯に仕事に取り組んでいたのだと思います。そうでなければこんなに店舗数を増やしたりは出来ないでしょう。
業績が上がれば、店舗数が増えます。店舗数が増えれば人が増えます。人が増えれば、組織が出来ます。組織が出来るということは、トップの意思が社員全員に伝わるのには(中間の)人を介することになります。人を介すれば、よほどうまく組織が機能しない限り、トップの意思は正確に伝わらず、間違った方向に会社が進んでいく(昔、やった伝言ゲームの拡大版ですね)。
今回の例で言うと★お客様を迎えるために店頭のゴミや落ち葉を拾う、というお客様目線の指示が街路樹の伐採まで拡大解釈される。★組織力をアップさせて、つまり社員の競争心、向上心をアップさせて売上目標を設定するのですが、その設定も度を超すと分不相応の過大な数字となる。★更にその目標を何が何でも達成するために、BM社自らがお客様の車に傷をつけるなどの「倫理観を置き忘れた」「人間として絶対にやってはいけない」行為にも平気で手を染める。★業績を上げた者には破格の待遇や年収が用意されているが、そのために部下を育てるのではなく、ただ罵倒することで厳しい指導と勘違いしている、などなど。 きっとこのBM社はもう再起出来ないでしょう。万が一、再起出来たとしても、本当に長い長い年月を要するでしょう。
このBM社と同じような例がまだあります。以前も少し取り上げましたが、高校野球のPL学園です。PL学園も野球部の創部時は高校生の健全な育成のためにスポーツ、特に団体競技である野球が相応しいという思いがありました。「PLの野球は世界平和に通ず」という創部者の教えもあるほどです。
PL学園が強くなっていった理由の一つは野球部が(剣道部、ゴルフ部もですが)全寮制であったことです。寮のなかでは2年生や3年生に対して1年生が付き人になります。1年生は担当した先輩方の食事や洗濯や掃除や練習をアシストします。もちろん買い物などのパシリもさせられます。そして1年生の誰かがミスをすると、1年生全員が連帯責任を負わされ、先輩からの愛情一杯の(?)教育的指導を受けます。
この様に書くと何も良いことが無いように思えますが、これらは度を過ぎなければ先輩に対する敬意や部員同士の連帯意識や一体感が身に付き、土壇場での強さに繋がります(昔「逆転のPL」と言われた強さはここが源、と堀場は思っています)。
しかしこういう寮の風土も年月が経つにつれ、「悪い意味で拡大解釈される」ようになります。寮内での先輩から後輩に対するイジメや暴力は当たり前になり(あの清原は「暴力はPLの伝統です」などと普通に語っています)、PLは何度も何度も出場停止処分や対外試合停止処分を受けます。また寮の敷地内での部員の死亡事故も起きています。
結局、この様な過度な上下関係を誰も止めることが出来ず悪評が立ち、部員が集まらなくなり廃部に追い込まれました。そして今では学校そのものの存続も危うくなっています。
創部者の「PLの野球は世界平和に通ず」とは真逆の方向に進んでしまった、という典型的な例です。立ち返って自分。こんな私でも人の上に立つ機会が少しはあります。その時の言葉や行動が「過ぎたる」にならない様に、自戒しなければと思う次第です。