ドラゴンズ背番号物語「39」(前編)

 まいどまいどです。今回「38」にはピックアップするに相応しい、これといった該当者がいませんので「39」にいきます。その前に「38」と「39」の歴代選手は以下の通りです。

 「38」 堂上照投手(S46)、旭和男投手(S47 ~54)、島田芳明外野手(S55~62)、大宮竜男捕手(S63 ~H1)、井上一樹外野手(H2~7)、矢野輝弘捕手(H8~9)、鈴木郁洋捕手(H10~14)、オマール・リナレス内野手(H15~16)、大友進外野手(H17)、斎藤信介投手(H18~22)、前田章宏捕手(H23~25)、松井雅人捕手(H26~31・R1途中)、松葉貴大投手(H31・R1途中~現在)

 う~ん、5年以上付けた選手も何人かいるけど、どの選手もイマイチ目立っていませんね。井上一樹も「99」のイメージの方が強いし。続いて「39」はこんな感じです。

 「39」 西田暢内野手(S45~50)、青山久人投手(S51~59)、中村武志捕手(S60~H13)、マーチン・バルガス投手(H14~16)、玉野宏昌内野手(H17)、清水将海捕手(H18~22途中)、三瀬幸司投手(H22途中~26)、加藤匠馬捕手(H27~29)、武山真吾捕手(H30~31・R1)、山下斐紹捕手(R3~4)、宇佐見真吾捕手(R5途中~現在)

 西田は、早稲田大→熊谷組というエリートコースを歩んだ渋いいい内野手だったけど、打てなかったので控えで終わっちゃったなぁ。青山は青エンピツと言われた、地元愛知県国府高校出身の細身のアンダースロー投手でした。そして中村武志以降は捕手が多いですねぇ。さてそれではその中村武志捕手の前編です。

 この人を語るイコール星野監督を語る、です(笑)。とにかく星野さんと絡んだエピソードがメチャクチャ多い。箇条書きにしてみました。①ドラフト1位で入団。しかし2年間二軍でも全く使い物にならず、クビ寸前だったが、星野監督の「壁(投手の球を受けるだけのブルペンキャッチャーのこと)はいくつあっても困らんから、ま、残しとけ」の一言で首の皮一枚で残れた。②3年目、当時正捕手だった中尾があまりにもケガが多く休みがちだったので、星野監督の逆鱗に触れた。本来なら二番手捕手だった大石友好がスタメンマスクを被りそうなものだが、中村の馬力というか体力に目を付けた星野監督の「この中村を鍛えて、今後10年間休まないキャッチャーに育て上げろ!」のツルの一声が発令された。③その日から毎日、加藤バッテリーコーチとの毎日が春季キャンプの特守のような地獄の日々が始まった。ちなみにその際、星野監督は加藤コーチに「死ぬ寸前までしごいて鍛えろ。オレが責任を持つ」と言っていた。④あまりに試合前にも中村がしごかれているのを見て、相手の球団の選手までもが「中村は大丈夫かいな?」と本気で心配した。しかし本人は毎日、ケロッとしてスタメンマスクを被っていた。

 いやぁ、後編では試合中や試合後や休日練習のことを書きますが、すごい内容ばかりですよ、本当に。きっと今ならプロとはいえ、大問題(笑)(?)。期待してください。