ドラゴンズ背番号物語「39」(後編)

 まいどまいどです。それではお待ちかね(笑)中村武志捕手の最終回です。星野監督との関係について。

 投手が打たれても捕手が怒られる。それもベンチの中の全員の前で大声で。中村が理不尽さを感じたのは当然のことでした。しかし星野監督が皆の前で怒るのは「お前(投手)がしっかり投げないから、武志が俺(星野監督)に怒られるんだ。だからしっかり投げろ」とピッチャーに無言で伝えていたのです。例えば、山本昌と中村がミスをしたとする。それを2人だけ怒れば2人だけの問題にしかならない。でも全員の前で怒ると、投手全員、捕手全員、場合によってはチーム全員の問題になってくる。「俺は出来るから関係ないや」ではなく、野球は同じ状況で同じミスをすることが沢山あるスポーツ。なので「今日はこいつらが代表して怒られているけど、全員、二度と同じミスはするなよ」という意味だと解釈していました。つまり中村は星野監督からの格好の怒られ役だったわけです。

 中村も「星野監督はそれはそれは厳しかったけど、怒られた以上にフォローしてもらっていました。周囲からは武志ばっかり怒られて可哀想だ、という同情的な声もありましたけど、星野さんと僕との間では意外と消化しているところが大きかったんです。今日のことは今日のうちに済まそうと。それが口で終わるのか、手が出るか足が出るかの違いだけ。一晩考えろ、明日はまた新鮮な気持ちで球場に来い、で終わるんです」と思っていました。

 中村を怒った翌日は星野監督の機嫌がすごく良かったらしいです。練習中にヘッドロックをかけたり、イタズラを仕掛けてきたりもしたそうです。なので中村も徐々に星野監督に臆することはなくなり、寮の自室のベッドの上に星野監督の写真を飾っていたらしいです(笑)。

 そして極めつけは雑誌のインタビューでの中村のこの発言。→他球団の選手からもよく言われましたよ。「星野さんの下で野球をやりたい」「どんな感じなの?」とか。「お前ら、地獄だからやめとけ」と冗談で言っていたんですけど、11年間も一緒にやっていると、そういう声をよく聞くじゃないですか。他球団の選手にとっても憧れの監督だったと思うと、その監督の下でやれたことは自分の勲章であり誇り。なかでも僕が一番怒られた人間だとなると、ますます勲章ですよね。

 また自身のYou Tubeでは「こんな自分でもこうやってYou Tubeを開設できたのも、結局は星野さんのネタがキッカケ。星野さんで商売させてもらっているんです。星野さんは亡くなられてしまいましたが、自分にとっては亡くなられてからも一生の恩人なんです」と発言していました。

 どうでしたか?わかっていただけましたでしょうか? 中村武志は一生、星野さんを慕い続けているのです。