果たされなかった約束・・・同期生の死

 まいどまいどです。久しぶりの更新になってしまいました。

 今回は(株)ポッカコーポレーション時代の名古屋本社或いは東京支店に在籍していた方に送る悲しいお知らせです。私の同期(昭和58年入社)で、同期の中で最も仲が良かった兼康利男さんが3月9日に亡くなられました。晩年は癌の転移に苦しみ、入退院を繰り返していました。

 兼康(敢えて親しみを込めて呼び捨てで)は入社後、本社経理部に配属されましたので、営業で東京立川営業所に配属された私とはずっと接点がありませんでした。しかし昭和62年、兼康が東京支店の業務課、私が同支店の特販課に転勤になり、更に中野区上高田にあった同じマンション(寮)に住むことになったので、直ぐに意気投合しました。それが最初です。兼康も私に負けず劣らずの熱い中日ファンでしたので、後楽園や東京ドーム、神宮、横浜へよ~く一緒に応援に行きました。昭和63年に星野ドラゴンズが優勝した時には祝勝会を開き、勿論、兼康も出席してくれました(画像は祝勝会の様子を書いた、当時のポッカの社内報。〇印が兼康)。

 また星野監督の第一次政権の最終年になった平成3年秋には、関東地区最終戦のVSヤクルト戦(神宮)を2人で観戦し、涙したよなぁ。その後、私が千葉や九州に転勤になった時には、当時、名古屋に戻っていた兼康に頼んでドラゴンズのファンブックを送ってもらいました(千葉や九州の書店にはファンブックが売っていなかったので)。その節はお世話になりました。ありがとうございました。こんな関係だったので、当然ながらお互いの結婚式にも出たよなぁ。お決まりのドラゴンズ選手応援テーマ曲の一気飲みをさせたね。仕事上では「営業」と「出荷」という違う部署ではありましたが、相互に関係することも多くよく融通を利かせてもらいました。それも感謝感謝でした。

 更にその後.。私がポッカを退職し名古屋に住むようになってからはなかなか会う機会が無かったのですが、ポッカOBによるドラゴンズファンのグループLINEに参加してくれたり、私の拙いブログのドラゴンズネタの更新を楽しみにしてくれていました。また兼康を勇気付けるために、このブログにもよく話題にしている元ドラゴンズ選手の豊田さんに「ガンなんかに負けるな!ガンバレ!」と色紙を書いてもらい、兼康に手渡しました。その際「必ず回復して豊田さんのお店(居酒屋)に一緒に行って、色紙のお礼を言おう。約束だぞ!」と伝えました。

 そして今年の1月25日には本格的なリハビリに取り組むため、病院を転院。その時には「新しい病院で、昼ご飯も美味しかった。静かな病室だし、良い事ばかり。気分が良く、さあ~頑張ろう!とやる気満々になった」とのLINEももらっていました。2月23日には僅か15分ほどでしたが、面会し話もしました。しかしその約2週間後に帰らぬ人になってしまったのです。本当に残念ながら、豊田さんのお店に行くという約束は果たされなかったのです・・・。

 ご遺族のご配慮で、本来なら近親者だけで済ませる予定だったお通夜にも参列させていただくことが出来、最後のお別れを言うことが出来ました。その時、不思議に涙は出ませんでした。きっとまだ兼康の死を信じていない自分がいるのだと思います。秋にはドラゴンズの祝勝会を豊田さんのお店でやって、そこに兼康の遺影を持って参加したい。きっと兼康もそれを望んでいると思います。

 もう痛みも苦しみも無いだろうから、天国から思い切り声出してドラゴンズを応援してくれよ。