立浪監督の3年間

 おはようございます。今日も雨模様です。本来ならソフトボールのリーグ戦の試合予定だったのですが、またまた中止です。残念。

 今週、予想はしていましたが、ドラゴンズファンにとっては非常に残念なビッグニュースが入って来ましたねぇ。立浪監督の辞任表明です。3年間の成績が最下位、最下位、5位もしくは最下位、では致し方ないですね。星野監督が初めて監督に就任した1987(昭和62)年と同じくらいの期待をしていたのですが、見事に外れました。

 今、地元で親会社の中日新聞が「誤算の3年」を3回、グループの中日スポーツが「竜またも昇らず」を5回にわたり連載しています。その前者の内容がこれ👇

 これらや今までに入って来た立浪竜に関連する情報をもとにして、堀場的に立浪監督の3年間を分析します。

①初年度 ビシエド、2年目 アキーノ、3年目 中田。ことごとく四番打者に裏切られ続けた。運も無かった。監督就任時に「打つ方は必ず何とかします」と宣言。打線にはドシッとした中心軸が必要なことはわかっていてこれらの選手に期待したが、力の衰えや適応能力の欠如は立浪監督の予想を遥に上回っていた。

②故に、どうしても自ら我慢出来ずに、コーチを飛び越して自分の形に拘った指導をしてしまった。それが上記の主力打者だけでなく、若手に至るまで。若手は自分のフォームや長所を見失い、また監督の打ち方で打たないと使ってもらえない、と思う様になった。

③飛び越されたコーチと監督との間にも溝が出来てしまった。中村紀は二軍に降格され、西山はいつもベンチでポツンと独りぼっち。当然ながら、この2人と荒木は2年目を終えて辞任した。

④このような立浪の暴走を止めるべくヘッドコーチ(落合英二や片岡)も機能せず、立浪監督は裸の王様となり、負のスパイラルに陥った。

⑤あまりに打線が打てないので、投手⇌野手 の相互に不信感が起きた。盤石だった投手陣も好投しても勝てないので、モチベーションは下がる一方。これについては山本昌が「例えば、9回投げて2点で抑えて0-2で負け投手になるよりも、9回投げて5点取られたけど8-5で勝利投手になる方が断然、良い。疲れない。投手にとって白星は何よりの良薬。防御率などは決して良薬にならない」とよくラジオの解説で言っていたことを思い出します。

⑥立浪監督も勝てないので、今度は失点する投手陣に不信感を募らせるようになった。本来なら先発投手は6イニングを3失点に抑えればクオリティースタートとなり、好投の部類になるのだが・・・。

あと堀場は立浪監督はもっと攻撃で仕掛ける監督と思っていました。盗塁、エンドラン、スクイズなど。普通に打ってもヒットは繋がりにくいし、長打力のある打者も少ないのだから。もっと例えば「走る野球」とかをスローガンとして表してほしかった。しかし結果的には無策が多く、いたずらに走者をためるだけで、残塁が多い非効率な野球が多かったなぁ。

そして立浪監督の人使いも下手だったんですねぇ。野手のリーダーとしての立浪のリーダーシップは素晴らしかったのかもしれないが、監督としてのマネージメント能力には???マークがついたんですね。この点については、他球団ですが以前、西武やダイエーで活躍した石毛と似ていますね。

とはいえ、細川が2年連続20本以上、岡林も復調、村松や田中や福永は経験も多く積んだので、更なるレベルアップも見込める。投手では高橋が大黒柱になるつつあり、ライデル・マルチネスも抜群の安定感(但しドラゴンズ愛は強いが、他球団にさらわれる可能性もある)と好材料もあります。

この3年間を教訓にして、球団全体が明確なビジョンを描いて、それを現時点では未決定の次期監督がうまく現場に落とし込んでいくしかないですね。