まいどまいどです。今回は、私の知人で超マニアックなドラゴンズファンであるYさんから「背番号物語で是非、44番のディンゴを取り上げて欲しい」というリクエストがありましたので、特別編として書きます。
そもそもディンゴを記憶しているドラゴンズファンは一体、何人いるでしょうか?それくらい印象は薄い。それもそのはず。ドラゴンズには1年、いや正確に言えば8月までしか在籍せず退団してしまったのだから。
このディンゴ、オーストラリア出身のバリバリの大リーガーでしたが、当時の大リーグの規定では2000年の母国シドニーでの五輪出場が叶わないので、年俸を7割減らしてでもシーズン途中での五輪出場の条件をOKしてくれた中日に入団したのでした。
その大リーグ時代の経歴はスゴイです。捕手として野茂とバッテリーを組んだり、オールスターゲームにも出場。8年間で約800試合に出て、打率.284、本塁打も105本打っています。それだけに2000年のドラゴンズファンブックでは左右両ページを使い、これでもかというほどの(笑)美辞麗句が書かれています。ディンゴも自信満々の様でした。※下のファンブックの画像を読んでください。



しかししかし。ホント、外国人選手の前評判ほど当てにならないものはない。開幕しても全く日本人投手の配球に対応出来ず。極度の打撃不振に陥りました。ただ唯一、4月7日に横浜スタジアムで打った本塁打だけは凄かった。打球はライトスタンドの遥か上をいき、場外へと飛び出しました。たまたまテレビ観戦していた堀場もこれには超ビックリしました。
結局、出場試合数は僅か18試合。打率.180の1本塁打。見事に期待を裏切って帰国しました。しかし皮肉にもこの後のシドニー五輪ではオーストラリアの代表選手として出場。対日本戦では当時ロッテの黒木投手から本塁打も打ちよりました。
その後もWBCに出場したり、オーストラリアのコーチとして来日したり、オーストラリア代表監督になったりと活動・活躍しています。しかし堀場としては裏切られた感しかないので、良い印象は持っていないです。
ディンゴですか~
そう言えば居ましたね。
ドラゴンズで活躍した記憶はありませんが、
WBCで元中日とか言われてもピンときませんでしたが
なんたってニルソン監督ですからね。
これだけ本名と登録名が違うと・・・
ディンゴってオーストラリアの狼(野犬)の
ことらしいですね。