このブログの内容は、堀場が新卒で19年間勤務しました(株)ポッカコーポレーション時代の先輩を偲ぶ内容です。ここに出てくる実名や企業名はポッカ関係者以外はわからないと思いますが、ご了承下さい。
10月9日(木)の午後「急ですが、伊藤和さんが亡くなられました」というLINEが久保(稲川)まゆみさんから届きました。正に青天の霹靂で「伊藤和さんって、もしかして伊藤和洋さんのことですか?」と訊き返したほどです。
伊藤さんは堀場の2年先輩で、昭和60年と61年は同じ立川営業所で仕事をしました。最初「優秀でキレ者の営業マン」という前評判でしたので、ちょっと怖いイメージがありました。でもお酒を飲むと顔を赤くしながらも沢山飲み、よく笑わせてくれたので、そんなイメージは直ぐに消えました。
ある時、伊藤さんが担当していた「伊豆屋川口商店」という問屋さんの棚卸を手伝い、その後に伊豆屋の社長と伊藤さんの商談に同席する機会がありました。伊豆屋は当時、ポッカの占める売上が大きく、双方にとって大事なパートナーでした。それだけに伊豆屋からの要求もいろいろと厳しいものがあったようです。
伊豆屋社長「伊藤君、ポッカコーヒーは値乱れしていて、ポッカさんを売っていても全然儲からん。セールスは皆、そう言っているぞ。何とかならんのか・・・?」 伊藤さん(一瞬、困った表情をしつつも微笑みながら)「そうですかぁ。でも大丈夫です。ちゃんと儲かる様になっていますから。ご安心ください」 伊豆屋社長「本当かぁ? まぁ、伊藤君がそう言うんなら、信じるけどな」
古き良き時代でした。何の根拠もないのに、これで商談が成立していました(笑)。でも伊藤さんの笑顔には相手を信じさせる何か不思議な魅力があったのは事実です。その証拠に、伊豆屋以外にも富士見商事や雪印物産や橘高などの手強い得意先をことごとく「騙して」失礼「てなづけて」これも失礼「納得させて」売上を上げていました。月末にも強かったなぁ。
また昭和61年春から立川営業所に新しく赴任した武智所長とは最初、堀場も1つ年下の村田君もあまりうまくいかず、もめることがしょっちゅうありました。その時に営業所のナンバー2だった伊藤さんが仲に入ってくれて、我々の愚痴を聞いてくれたり、所長に直談判してくれたり、と本当に頼りになる先輩でした。
伊藤さんと一緒に仕事をしたのはこの2年間だけでしたが、社内の大きな飲み会の場やOB会の2次会で一緒になった時にはよく声をかけていただき、飲みました。そして極めつけはこれです。
2019年の11月2日と3日に、当時の立川営業所のメンバー(男性は苅谷所長、伊藤さん、浅野さん、堀場。女性は出荷担当の大山さん、販促担当の美香さん、経理担当の佐藤さん ※村田君だけはどうしても都合がつかず欠席でした)が集結し、1泊2日で浜名湖ホテルでお泊り飲み会&健康サイクリングを行いました。その時も伊藤さんは元気に飲み、自転車もこぎまくっていましたが、在りし日の思い出になってしまいましたね・・・。「堀場さん、ポッカOB会にも入るからな」と言ってくれて、まだまだ会う機会があると思っていましたので、本当に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りします。お疲れ様でした。ありがとうございました。でも早過ぎます。
※写真を3枚添付します。上から浜松のホテルでの飲み会の集合写真。次は同日の伊藤さんのアップ写真。最後は社報のコピーで、昭和56年入社の伊藤さんが先輩として、昭和57年入社の新人さんに送ったメッセージです。



伊藤君にお悔やみ申し上げる次第です。彼とは同じフロアーで仕事をした頼りになる部下の一人で、明るさと落ち着き、貫録のある誠実な営業マンでした。60代で亡くなるとは私も意外です。彼とは2年ほどまえにOB会で会つたのですが、そんな雰囲気は感じられませんでした。私も残念に思います。御愁傷様でした。
60年入社同期LINEの連絡で知りました。
早すぎます、残念です。
私の結婚式に来ていただいたのですが、伊藤さんの、「お前、歌え」の一言で、新郎の私が歌うことになって、一大事になったことは忘れられません。
ご冥福をお祈りします。