驚愕の記憶 VOL 2

 皆さん、こんにちは。例によって唐突ですが(笑)、「驚愕」って言葉の意味わかりますか?わかりますよね。「驚愕」または「驚き」とは動物が予期しない事象を体験した時に起こる瞬間的な感情のこと、らしいです。人生60年の間には驚愕することが沢山ありました。そんな驚愕のなかで、今も忘れられなくて私の記憶に入っているものを、児童期から順を追って20題ほどご紹介します。名付けて「驚愕の記憶」。今回は「驚愕の記憶 1982 0928 ナゴヤ球場」です。

 時代は中学生、高校生、大学3年間を一気に通過します(笑)。1982(昭和57)年9月28日(火)、当時、愛知大学4年生の私は午前中の就活を終えて(だからネクタイ姿)、夕方にはナゴヤ球場のライト側外野席にいました。試合前の練習時間に撮った写真で、ピンクで囲んであるのが私。黄緑色は愛大の3年後輩の女子2人。後ろに陣取る黄色で囲んだ2人はたまたま私たちの後ろに座っただけの横浜国大の学生。実家は岐阜市だが、たまたま帰省中でこの試合を観に来たという。試合前までは全く面識はありませんでしたが、試合後には意気投合する関係になりました。「逆転Vへガンバレ、中日ドラゴンズ!」と書いた横断幕は勿論、私たちが作ったものです。↓

 この年、中日は最後の最後まで巨人と優勝を争っていました。そしてその巨人と最後の直接対決がこのナゴヤ球場での3連戦(初戦が9月28日)でした。試合は巨人が原辰徳の3ランで先制。その後中日も少しは反撃しましたが、9回表を終了した時点で2-6と4点のビハインド。巨人の先発投手はあの江川卓。この年も絶好調で対中日戦もこの試合前まで5勝2敗とカモにしていました。ということは全員が全員、ドラゴンズの敗戦を信じて疑わなかったんです。勿論、私も。「もう負けは決まったんだから、悔いなくヤケクソに大騒ぎして帰ろう!」そんな想いで、9回裏を迎えました。

 そしたら、何と先頭打者の代打豊田のヒットから始まりモッカ、谷沢と3連打で無死満塁。大島の犠飛で1点取ったが、未だ3点差。続く宇野がレフトへの二塁打で更に1点取って2点差。更に更に。何と中尾がライト前ヒットで、相次いで2人がホームインして、あっという間の同点劇!そして延長10回には仇敵江川を遂にKO!リリーフした左腕の角も攻略。最後は大島のセンター前ヒットでサヨナラ勝ち!!!!!! 今でも全てのシーンが鮮明に蘇ります。私はプロ野球の試合を今まで200試合は生観戦していると思いますが、文句なしでこの試合が最高の試合でした。

 驚愕の記憶はこの試合内容だけではありません。この試合は当然ながら最後まで球場で観戦しましたが、やはりもう一度、この試合を観たい。感動したい。ちょうどこの頃東海テレビで「プロ野球ニュース」という人気番組があって、その日のほぼ全ての試合をダイジェスト放映してくれていました。「よし、今からダッシュで帰れば、実家(岐阜県羽島市)でプロ野球ニュースも観られるな」と思っていたところ、後ろの横浜国大の大学生2人がこんな会話をしていました。「今から岐阜に戻ってもプロ野球ニュースには間に合わんなぁ」「仕方がない、諦めるしかないかぁ」。それを聞いた私が「じゃあ、オレの家に来る?一宮からタクシー飛ばせば間に合うよ。プロ野球ニュース観終わったら、岐阜駅まで車で送ってあげるわ」と言うと、話はトントン拍子に進みました。つまり私は、何とその日初対面の2人を私の家まで連れて来て、一緒にプロ野球ニュースを観戦して、その後は岐阜駅まで送っていったということ。家にはよく友達を招いていたので母親も驚きませんでしたが、後になって「あまり見たことがない顔だったけど、あれは誰だったの?」と訊かれましたよ(笑)。