プロ野球選手の代名詞である背番号。私がドラゴンズファンになった1971(昭和46)年から今年まで、ドラゴンズの背番号別に選手を紹介。毎回、私が独断と偏見で(笑)そのなかから1人をピックアップ。思い出やエピソードを書きます。※前回のブログでもこのコーナーを設けておりました。ある人から「是非もう一度、このコーナーを復活させて」とのリクエストがありました。
今回は背番号「5」★1971~1972(2年間) 日野茂 内野手※あまり印象がないが、西鉄にトレードになったことは憶えている。★1973~1974(2年間) J・ウィリアム 外野手 ※「スイッチヒッター ウィリアム」のウィリアム。日本語を熱心に勉強していたという親日派外国人。★1975~1976(2年間) 神垣雅行 内野手※近大からドラフト2位で入団。現在は故郷の大阪で焼き鳥屋を営んでいるはず。★1977~1987(11年間) 大島康徳 外野手・内野手※内野も外野も出来て、代打本塁打の記録も持っている個性的な選手。名球会にも入った。★1988~1995(8年間) 仁村徹 投手→内野手→二軍監督・コーチ→二軍監督※あの星野監督が目をかけていた勝負強さ抜群の選手。現役引退後は指導者として活躍中。★1996~2007(12年間) 渡邊博幸 内野手→内野守備走塁コーチ※星野、落合両監督を支えた貴重な控え選手。★2008~2015(8年間) 和田一浩 外野手※県岐阜商卒。あの高橋尚子と同級生の遅咲きの大打者。★2016~2021(6年間) 阿部寿樹 内野手※愛称「マスター」のいぶし銀的二塁手。右打ちが得意。
この「5」は強打の右打ちの野手が付ける番号で一致していますね。それが内野手であれ外野手であれ。さてこのなかで誰を選ぶか?大島康徳選手とかなり迷いましたが、やはり私としてはこの人。仁村徹選手です。
年齢は自分よりも1つ下。なので余計に親近感が湧きます。ドラゴンズへは1984(昭和59)年にドラフト2位で投手として入団(ちなみに1位は藤王内野手、5位は山本昌投手)。翌年からは内野手に転向。4年目の1987(昭和62)年に、星野監督にその勝負強い打撃を買われて二塁手に定着。しかし翌年は古傷の左ひざを痛めたため、開幕に間に合わず、6月後半からの参戦となった。参戦後は92試合の出場ながら打率.306、本塁打7本、打点52と活躍。選手評がメチャ厳しい星野監督に「ウチ(ドラゴンズ)でプレッシャーを跳ね除けて結果に繋げられるのはトオルくらいのもんだ!」とまで言わせた。日頃は無口で,いるのかいないのかわからないくらいおとなしかったらしいが(余談ですが実兄の薫はいつもしゃべくり倒してうるさいくらいで、嫌でもいることがわかるという超好対照的な兄弟だったらしい)、試合になると自チームへの鼓舞や相手チームへの怒気を含んだヤジなどでリーダーシップを発揮。選手からの人望も厚く、2回もキャプテンになりました。
仁村選手がドラゴンズに在籍した1995年までの間、私は殆どを東京で過ごしました。つまり敵地である東京ドームや神宮や横浜で応援することが多く、余計に頼れる選手でした。軍歌「燃ゆる大空」の替え歌の仁村選手の応援歌「燃えろ、男だ仁村~、気合を込め~て、飛ばせかっ飛ばせ仁村~、大空高~く、かっ飛ばせ~仁村、ヨミウリ倒せ、オー!」は今でも私の定番です(笑)。晩年は当時の千葉ロッテの広岡GMの要望もあり千葉ロッテに移籍。ここでも外様選手ながらリーダーシップを発揮した。
ドラゴンズに戻り、二軍監督に就任。あの星野監督が「トオルは怒らせたらオレよりも怖い」とビビッて(?)いたくらいの熱血指導で若手選手を鍛えました。その代表格が井端弘和選手。右打ちをする様に指示されていたのに間違って本塁打を打ってしまって怒られ、盗塁する様に指示されていたのにスタートが切れずに怒られ、とにかく井端が一軍に上がりたいと思ったのは「仁村二軍監督の下にいて、毎日の様に怒られたくなかったから」がモチベーションになったらしいです(笑)。
昨年からは2度目のドラゴンズ二軍監督に就任。昔と違って、精神論や上からのモノの言い方では通用しなくなってきていますので難しい面は一杯あると思いますが、石川を初めとする次代の若手のレベルアップを大いに期待しています。


上は元気時代の仁村徹キャプテン。下は1998年夏に福岡県雁ノ巣野球場で撮った、当時の仁村二軍監督のツーショット。
今回の背番号物語「5」は如何でしたか?是非、あなたの「5」に関する思い出をお寄せください。
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堀場さんは仁村ですか。長崎からウェスタンの試合を見に福岡まで行った時の写真ですかね?私は一発長打の大島ですかね。和田も捨てがたいですなぁ~この3人のうちの一人でも今のドラゴンズにいればな~と思うのは私だけじゃなぃですよね。
宗さん、コメントをありがとうございます。深刻な長打力不足解消には大島と和田。勝負強さを身に付けるには仁村。結局、3人全員の現役時代の実力が今のドラゴンズに必要!っていうことですね(笑)。 今日はRマルちゃんが誤算でしたね。でも問題はやはり打線ですね。
いつも、お世話になっております。
初書き込みです。
未だに仁村弟のイメージです。
右打ちと93年終盤の大爆発(9月月間MVP取った記憶が?)10.8に持ち込む先制ホームランが自分の中で仁村弟のハイライトです。
引退後は暴力やパワハラ指導者に成り果てて、中日OBは三流評論家もしくは三流指導者になってファンを幻滅させるジンクスに、ドハマりしてるのが本当に残念です。
ちょっとどなたかわかりませんが、コメントをありがとうございました。よろしければ、素性を教えていただけると嬉しいですが。 終盤の大爆発は1994(平成6)年だと思います。確か一週間に2本の満塁本塁打を打ったと記憶しています。ちなみに1993年はヤクルトと優勝を争っていて、やはり9月ごろに神宮で本塁打を含む3打点を挙げて左翼席にいた私を熱狂させてくれました。 引退後は暴力やパワハラ指導者?う~ん、それはちょっと言い過ぎでは(笑)。でも確かに選手には相当に恐れられていたようですね。