驚愕の記憶 VOL 3

皆さん、こんにちは。例によって唐突ですが(笑)、「驚愕」って言葉の意味わかりますか?わかりますよね。「驚愕」または「驚き」とは動物が予期しない事象を体験した時に起こる瞬間的な感情のこと、らしいです。人生60年の間には驚愕することが沢山ありました。そんな驚愕のなかで、今も忘れられなくて私の記憶に入っているものを、児童期から順を追って20題ほどご紹介します。名付けて「驚愕の記憶」。今回は「驚愕の記憶 1983 04 衝撃の辞令 立川営業所」です。

 1982年の秋に(株)ポッカコーポレーションの内定をいただいた時点で、「一応」希望勤務地を書くことがあり、私は「本社(名古屋市)か名古屋支店か大阪支店」と書きました。単に名古屋なら実家から通勤できるから。そして大阪支店は大阪という街が好き(この頃は吉本新喜劇が大好き)だったから、という単純な理由でした。そして翌1983年4月1日。(株)ポッカコーポレーションに正式に入社することが出来ました。その後約1週間の新人研修を受け、辞令をいただく(新入社員一人一人が谷田社長から直接手渡しされる)日を迎えました。何の根拠もありませんでしたが、何となく「希望勤務地である名古屋か大阪に行けるんだろうなぁ」と思っていました。

 ところがところが。開けてビックリ!ビックリ!超ビックリ!谷田社長から私に発せられたのは「堀場勉、立川営業所勤務を命ずる」という言葉と辞令(下の画像です)。内心は「え~っ⁉」という思いでしたが、この瞬間には「はい!頑張ります!」と言わなければなりませんでしたので、とりあえずその通り言って自分の席に戻りました。先ほど「え~っ⁉」と書きましたが、それは勤務地が意外とかではなく、先ず「立川営業所」というのがどの県にあるのかわからなかったからです。私の隣に座っていた同期に「立川営業所ってどこ?」と小声で尋ねました。そしたら返ってきたのは「立川は東京の奥の奥だがや」という言葉。ここでまた私は「え~っ!?東京!?」という想い。だって私は希望勤務地に「東京」なんて一言も書いていないんですよ。それに東京なんて、高校の修学旅行で東北に向かった際に通った(かすった)だけ。大学時代にも一度も行っていないんですよ。そりゃぁ、超超超びっくりしました。目の前が真っ暗になりました。今みたいに携帯電話も無い時代だったので、とりあえず公衆電話を見つけて実家の母に電話。「勤務地が東京になったわ。もうこの週末には東京に移動しなければならないので、必要最小限の荷物をまとめておいて」と頼みました。勿論ですが、母親も超ビックリ!超あたふたしておりました。

 2日後。東京で大学時代を過ごした同期の人間に先導してもらい、何とか池袋にあったポッカの寮にたどり着くことが出来(きっとこの人間に先導してもらわなかったらたどり着けなかったと思います(笑))、東京でのビジネスマン生活が始まりました。最初の1か月くらいは見るものや行く場所が全て驚きの連続。ホント、修学旅行のおのぼりさん状態でした(笑)。流石に最初はホームシックでしたので、ゴールデンウィークになると脱兎のごとく帰省した記憶があります。

 しかし考えてみれば、最初に立川営業所に勤務出来たおかげで、ポッカのいろいろな販売ルートも勉強出来たし、その後尊敬できる上司とも巡り合えたし、何より今の妻と出会うきっかけが出来たわけですので、辞令を出していただいた今は亡き谷田社長に大感謝しています。ただ「私を立川営業所配属にした何らかの根拠(理由)は知りたいなぁ」と今も思っています。

 最後の最後に余談ですが、私が新入社員だった時の社報のコピーを持っていますので、それも添付しておきます。ピンク色で囲んであるのが私です。

 

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