驚愕の記憶、VOL 4(後編)

 皆さん、こんにちは。例によって唐突ですが(笑)、「驚愕」って言葉の意味わかりますか?わかりますよね。「驚愕」または「驚き」とは動物が予期しない事象を体験した時に起こる瞬間的な感情のこと、らしいです。人生60年の間には驚愕することが沢山ありました。そんな驚愕のなかで、今も忘れられなくて私の記憶に入っているものを、児童期から順を追って20題ほどご紹介します。名付けて「驚愕の記憶」。今回は「驚愕の記憶 1984年5月17日 豊田選手の逆転2ラン(後編)」です。今回は打った当事者の豊田さんと、この試合でレフトスタンドでトランペットを吹いていた応援団Dさんのエピソードを書きます。

 👆これが豊田選手の逆転2ランの翌日の中日新聞の記事です。愛知県立図書館で縮刷版を探してコピーしてきました。ここにも書いてありますが、豊田さんはこの打席のなかでヨミウリの山倉捕手と言い合いをしています。山倉とは東京6大学時代からのライバル(山倉は早稲田大学卒で明治大学卒の豊田さんの方が1学年下)で、この日も打席に入った豊田さんに「ぶつけてやる」と言ってきた。カッときた豊田さんは山倉に向かって「うるさいぞ、この野郎!」と言い返した。打席のなかでは年上も年下も関係ないですからね。そしてホームインした瞬間は「ザマアミロ!この野郎!」という気持ちだったそうです。記事には山内監督が「監督賞」を出したように書いてありますが、豊田さん曰く「監督賞をもらった記憶はない」そうです(笑)。

 そしてもう1人。応援団のDさん。このDさんは東京都八王子市在住で、今もお付き合いがあります。この日ドラゴンズを応援していたのは僅か3人(①Dさん②Dさんの友人で同じトランペット仲間のFさん③この日初めて会ってドラゴンズの帽子をかぶっていた人)だったそうです。そりゃあそうですよね。相手は全国区のヨミウリ。そして場所は郡山。郡山と言えば福島県。福島県と言えば当時のヨミウリの大スターだった中畑清の地元ですからねぇ。ドラゴンズファンなんているわけがない。ヨミウリファンからすれば、この3人は目障り、耳障りな奴らですよね。ましてや試合はヨミウリが優勢。この3人には他のお客から心無いヤジが飛びまくったそうです。でもここで応援を止めるわけにはいかない。DさんとFさんは交互にトランペットを吹いて応援歌を歌ったそうです(③の人はドラゴンズ帽子こそ被っていたが、応援歌を歌うことはなかったらしい)。なのでこの逆転2ランが出た時は涙が出たそうですが、ヨミウリも粘りに粘って最終回は二死一・三塁まで攻め込まれました。何とか牛島投手が抑えて勝った瞬間は2人で大声をあげて泣いたそうです。そしてそれを見ていたヨミウリファンの1人が「あんたら、よう頑張ったな」と声を掛けて来た、なんていう感動的な(?)エピソードもあったようです。