今回の「12」はドラゴンズにとっては正直、あまり出世背番号ではありません。
江島巧外野手(1971)、飯田幸夫外野手(1972~1978)、高橋三千丈投手(1979~1984)、剣持貴寛外野手(1985)、斎藤学投手(1986~1988)、陳義信投手(1989~1990)、石本貴昭投手(1991~1992)、横田真之外野手(1993)、金森隆浩投手(1995~1997)、Sジャービス投手(1998)、日笠雅人投手(1999~2000)、岡本真也投手(2001~2007)、清水昭信投手(2009~2013)、田島慎二投手(2014~2021)
こういった選手が付けてきました。皆さん、このなかで一体どれくらいの選手をご存知ですか? 高橋、斎藤、金森はいずれもドラフト1位の投手ですが、揃いも揃って殆ど活躍しませんでしたね。特に金森なんかは阪神戦で1イニングに2本の満塁本塁打を打たれて、当時の星野監督から「お前の顔は見たくない」とまで言われてしまったことがあります。他もトレードで入団した選手(飯田、剣持、石本、横田)や目立った活躍をしないままに終わった選手(江島、陳、横田、ジャービス、日笠、岡本、清水)が多く、田島が来年以降戦力として復活出来るか否かの瀬戸際ですよね。
そんななかで今回ピックアップするのは高橋三千丈投手です。高校は静岡県の名門県立静岡商業、大学も東京6大学の雄、明治大学。大学時代は少々荒れ球気味の快速球で、江川のいた法政や岡田や山倉がいた早稲田と死闘を繰り広げました。4年生では主将兼投手となり、1979(昭和54)年にドラゴンズに入団しました。ちなみに、明治大学主将兼エース → 中日ドラゴンズ というエリートルートは高橋以外にも星野仙一、川上憲伸、柳裕也という凄すぎる顔ぶれです。
175㎝とプロの投手としては小柄で、全身を使って投げるスタイルだった故に、どうしても試合の中盤から後半にかけて相手打線に捕まることが多かったです。また1年目の後半あたりから右腕血行障害を患い、翌1980年から登板機会が激減してしまいました。その後、手術やリハビリを経て1983(昭和58)年5月の阪神戦(甲子園)で完封勝利を飾りました。この試合は未だ以って球界史上初の無捕殺試合(ゴロや振り逃げ失敗等によるアウトが1つも無い試合のこと)のおまけつきです。ただ、この試合が高橋の最後の勝ち星となり、翌1984(昭和59)年には現役を引退します。しかしその人間性が評価されて直ぐに投手コーチに就任。その熱い指導力もあって途中の1996(平成8)年、1997(平成9)年の2年間を除きず~っと2008(平成20)年までドラゴンズのコーチとして若手を指導しました。
その後は韓国プロ野球でコーチを務めたり、スポーツ用品小売店チェーンのヒマラヤでも勤務されていました。 現在は名古屋の有名なみそかつチェーン店「矢場とん」の野球チームである「矢場とんブースターズ」のコーチとして頑張っています。
堀場さん ご無沙汰しております。
久々のコメントです。「12」ってそう言われてみれば活躍した選手ほとんど印象にないですね。印象に残っているのは私的には堀場さんと同じ高橋ですね。血行障害で選手生命短かったですけど。高橋が入った年のドラフトは江川事件で巨人がドラフト不参加の年ですね。高橋と明大同期の鹿取がドラフト外で巨人に入ってそこそこ活躍しちゃったのはちょっと複雑ですけど。
宗さん、コメントをありがとうございます。流石、詳しいですね。鹿取の方がプロでは活躍しましたね。結構、細く長く。あともう1人、この同期がいるんですよ。もうお分かりですよね。豊田誠祐さんです。コロナ禍が収まったら(このフレーズ、もう使いたくない(笑))、是非、豊田さんのお店に飲みに行きましょう。