皆さん、まいどまいどです。今回は満を持して中日ドラゴンズの新監督となった立浪のことを書きます。しかしその前に1つお詫びです。「大谷と立浪の話 その1」つまり前回の大谷の話を、私の誤操作で上書きして消してしまいました。申し訳ございませんでした。
立浪はかつての名門PL学園の出身。入学時には2年上、つまり3年生に桑田と清原がいました。立浪と寮で同室となった桑田は「きっとこの子(立浪)はプロに行けるだろう。なので先輩からのイジメから守ったらんといかん」と早いうちから目をかけていたみたいです。立浪もその期待に応え、厳しい寮生活に耐えつつ早くも2年生でショートのレギュラーの座をゲットしました。3年生になるとキャプテンに選ばれ、チーム全体を見渡すというリーダーシップも身についたようです。当時の中村監督は「立浪については怒ることが殆どなく、気配り目配りが出来る、全く手がかからないキャプテン」と思っていたみたいで、立浪の後輩にあたるメンバーにはよく立浪キャプテンのエピソードを模範として話していたみたいです。1学年下の宮本(元ヤクルト)は「年齢差は1つですが、高校時代から全てにおいて<尊敬>に値する先輩でした」と言っています。また同級生で同室だった片岡(ドラゴンズの新二軍監督)が不調に悩んでいた時には、片岡に「毎朝の落ち葉拾い」を持ちかけて一緒に朝早くから2人で落ち葉拾いをしていたそうです。勿論、落ち葉拾いが野球の技術力アップに直接つながるわけではありませんが、PLの教えである「徳を積む」(人が嫌がることを率先してやる)を実践することにより、野球に対して純粋な気持ちや感謝の気持ちを持つことが出来、不調からの脱出につながったそうです。
ドラフトでは中日と南海(現ソフトバンク)が競合。くじで負けた南海の当時の杉浦監督に「早くから入団のお誘いをいただいていたのに申し訳ございませんでした」と手紙まで書いたそうです。別に立浪がくじをひいたわけでもないんですけどね(笑)。そして杉浦監督も「あなたのような律儀な人物はみたことがない。是非、中日で頑張ってください」と返信を書いたそうです。
中日入団後の活躍はご存知の通り。その実績もさることながら、打撃投手やトレーナーやグランド整備などの裏方さんを非常に大事にする選手でした。試合で活躍するともらえるスポンサーからの景品や監督賞などの現金を、感謝の言葉とともによく手渡していたみたいです。
しかし優しい気持ちだけでは超厳しいプロの世界を勝ち抜くことは出来ません。立浪の好きな言葉は「気」。気持ち、気力、気迫などの言葉がありますが、立浪に最もピッタリなのが「負けん気」。実際、自著のタイトルにもしています。試合中や練習中は他人を寄せ付けないオーラを発していた時もあるそうです。実際に井端や荒木や森野などは「グランド上での立浪さんは怖かった。グランドを離れるとメチャ、優しいんですけどね」と言っていました。
そしてその負けん気故に勝負強さも抜群でした。確か平成6年か7年だったと思いますが、東京ドームで1点ビハインドされた9回二死無走者から立浪が同点のホームランを打った試合(打った相手投手は、PL時代の同級生でエースだった橋本清)を目の前で観ました。173㎝という小さな体で、アホの読売ファンで埋まったライトスタンドの中段に叩き込みました。あの時の光景は今でも鮮明に記憶していますよ。他にも上原や松坂などからもサヨナラホームランを打っています。晩年は代打の切り札として活躍。今のドラゴンズのチャンスに打てない選手達に、この勝負強さを注入してほしい、ホントに。
現役引退後は女性問題などのスキャンダルやあまり良くない噂もあり、監督になるのに12年という年月を要しましたが、ドラゴンズファンが待ち望んだ監督であることは確かです。そして技術や体力のアップ以前に、スポーツマンらしく「髪型」「髪の色」「髭」「挨拶などの礼儀」から律していって、厳しさを植え付けようというその姿勢にもメチャ好感が持てます。ネットで一部のアホなライターが「時代錯誤している」「没個性に繋がる」とアホなことを書いていますが、礼儀を重んじるのに時代錯誤も没個性も無いわ!って感じです。とにかく結果を出して黙らせてやってくれ、って感じです。
最後に。でも冷静に考えれば今が一番、楽しい時期ですね。実際に2月にキャンプ、3月にオープン戦、4月に公式戦と進むうちに誤算も沢山出て来ます。そして何より「勝つ」か「負ける」かの結果が毎日、出ます。とりあえず来年は勝つに越したことはありませんが、負けても2年後や3年後に期待が持てる内容(特に若手野手の少しずつの成長が実感できる)の試合であることを望みます。
ガンバレ、立浪ドラゴンズ!星野さんも天国から一番弟子の立浪監督を応援していますよ。