まいどまいど。久しぶりの「驚愕の記憶」。10回目の今回は2001年9月に社内発表がありました「ポッカの希望退職」について書きます。これもなかなか衝撃的でした。
バブル崩壊の影響で、1997年頃から企業の倒産が相次ぎました。なかでも衝撃的だったのは山一証券ですね。当時のトップが「悪いのは私たち幹部であって、社員は悪くありませんから」と記者会見で号泣していました。
(株)ポッカコーポレーション(以下 ポッカ)も厳しい時代に突入していました。ポッカの主な利益源はレモン果汁と缶コーヒーでした。レモン果汁は順調に売上と利益を出していましたが、いかんせん市場規模が小さく利益額がイマイチ少ない。一方、缶コーヒーは6,000億円くらいの大きな市場規模がありましたが、これもミネラルウォーターや茶系飲料などの無糖系飲料が台頭し、頭打ちになりつつありました。更にポッカの場合、缶コーヒーと言ってもその殆どが190gコーヒー、いわゆる「顔缶」のコーヒーで利益を出していました。しかし、それもサントリーの「ボス」やアサヒの「WONDA」、キリンの「JIVE」、コカ・コーラの「ジョージア」等が豊富な資金力でいろいろなプロモーションを仕掛けて来たので、ポッカのシェアーは下降線をたどりました。つまり、ポッカ単体で売上1,000億円を超えて以降は売上が伸び悩みの状態が続いたのです。なので社員の間でも「今度はウチがリストラ(←このころから流行し始めた言葉)かぁ・・・?」などと噂はしていました。ただ、私の中ではあくまでも冗談ぽくでした。
そして確か2001年9月30日の朝に、衝撃的な社内メールが発信されました。「現状、我が社は売上・利益とも厳しく、大変に不本意ではあるがポッカ生き残りのために2002年3月末での希望退職を募ります。対象は役職に関係なく、ポッカ在籍10年以上で且つ35歳以上の全員」という内容でした。これには驚きました、本当に。1983(昭和58)年4月に入社以来18年間、ポッカを辞めたいと思ったのは1回だけでした。この1回も自分のミスが原因で起きた事案でしたが、結果的には幸いにも大事には至りませんでした。なので自分の中では「ずっと自分は定年までポッカにいるんだろうなぁ」と何の根拠もなく思っていました。しかし目の前に希望退職選択の現実が突き付けられたのです。「頭の中が真っ白になった」って、このことを言うんだと実感しました。正直、この日は終日、仕事が手につきませんでした。それほどの衝撃でした、当時の自分には。妻にも直ぐには言えませんでした。自分が動揺しているのに、冷静に妻に話すことなんて出来ないですよね。なので10月3日くらいに話をしたと思います。
ただ、ポッカもいろいろと配慮をしてくれて、10~12月には対象者全員を何回かに分けて、自分自身の能力の棚卸や今後のライフプランの作成をするための研修を実施してくれました。そして年末年始の休暇中にじっくりと考え、妻にも話し、年明け早々の幹部の人との面談で希望退職に手を上げる意思を伝えました。最終的には2月1日に規定の書面に記入し、本社にFAXを送信。希望退職を受理していただきました。
ここからは余談2つです。
①自分が希望退職に手を上げたことは2日後くらいには他の人にも広まっていて、結構いろんな人から電話やメールをいただきましたねぇ。余程、自分が希望退職に応じたことが意外だったみたいです。なかには「何でお前が辞めるんだぁ!」といきなり怒ってきた人もいました。今となっては懐かしい思い出です(笑)。早期退職に応じて辞めたことには全く悔いはありません。ポッカを辞めて別の仕事をして得たものも一杯あるし、早い段階でOB会に携わることが出来たのも良かったです。
②ポッカは本社が名古屋でしたので、流石にここ名古屋ではステータスが高いことを実感しました。再就職の面接に行くと、面接官が自分の履歴書を読んでこう言いました。3つのパターンがあります。「へぇ、ポッカさんに19年間勤められたのですね。すごいですね」これがファーストレベルの反応。 「へぇ、ポッカさんに19年間勤められたのですね。すごいですね。何で辞めたんですか?」これがセカンドレベルの反応。そしてサードレベルの反応はこれ⇒「へぇ、ポッカさんに19年間勤められたのですね。すごいですね。何で辞めたんですか? 何かやらかしたんですか?」随分な言い方ですよね(笑)。でもこの面接官にとっては、「あのポッカを辞めた」ということがスゴイ驚きだったんですね。
