ドラゴンズ背番号物語「18」

 今回は「18」です。プロ野球界では何故かエースナンバーと言われますが、ことドラゴンズに限ればそうとも言えないようです。先ずは1971(昭和46)年以降の歴史を👇

 稲葉光雄投手(1971~1976)、戸田義紀投手(1977~1982)、鹿島忠投手(1983~1996)、小野和義投手(1997)、前田幸長投手(1998)、武田一浩投手(1999)、曹竣揚投手(2000)、ギャラード投手(2001~2003)、朝倉健太投手(2004~2005)、中里篤史投手(2006~2008)、伊藤準規投手(2009~2013)、鈴木翔太投手(2014~2018)、松坂大輔投手(2019)、梅津晃大投手(2021~現在)

 ご覧の様にエースの称号を与えられた投手は皆無です。誰をピックアップするか迷いました。今年は何とか飛躍してほしい梅津投手。しかし梅津投手についてはあまり詳しく知らないので書けないなぁ。14年間の長きに渡り付けた鹿島忠投手。貴重な中継ぎ投手ではありましたが、今一歩かなぁ。というわけで、今回は稲葉投手と戸田投手の2人について書きます。オールドファンならおわかりかと思いますが、この2人は1976(昭和51)年のオフに交換トレード(相手は阪急ブレーブス)になった間柄です。余談ですが、このトレードでは他にも島谷内野手と大隅内野手が出て行き、大石弥太郎投手と森本潔内野手と小松健二外野手が入ってきました。

 このトレード、結論から言うとドラゴンズにとっては「大失敗」でした。トレードが決まる前の2年間の通算では稲葉が10勝12敗。戸田が23勝10敗。ドラゴンズにとって「お得」なトレードかと思われました。しかし、所属が変わった1977(昭和52)年以降の6年間の通算は稲葉が58勝40敗。2桁勝利が4回。一方の戸田は20勝25敗。2桁勝利した年は無し。このトレードの失敗は我々ドラゴンズファンをガッカリさせたし、中日球団もこれ以降のトレードに臆病になってしまいました。

 稲葉は36歳の1984(昭和59)年のオフに引退。引退後は東海ラジオの解説者などを経て、2軍投手コーチ(1998~1999)と1軍投手コーチ(2000~2001)を歴任。そして2009年~の2度目の2軍投手コーチ時代は吉見一起投手や山内壮馬投手などを育てましたが、2012年の8月11日の試合中に「手がしびれる」と体調不良を訴え病院に運ばれると、そのまま20時39分に脳内出血で亡くなってしまいました。63歳の若さでした。

 学者風のルックスと優しい口調の理論派。しかしそれだけではなく、どうにも納得がいかないことはあの星野監督にも反抗するという情熱的な面も持ち合わせていました。故に稲葉コーチを慕う若手投手は多く、訃報に号泣していました。

 一方の戸田は大阪出身であるにもかかわらず現役引退後は名古屋にとどまり、名古屋市名東区上菅で「焼肉ハウス戸田」を経営しています。仕事中にこのお店の周辺を結構、車で通ります。決して交通の便が良い立地ではないのでまだ一度も入ったことはありませんが(行けば絶対にビールを飲みたくなりますからねぇ(笑))、今年あたり行ってみようと思っています。