ドラゴンズ背番号物語「20」

 まいどまいどです。久しぶりのドラゴンズ背番号物語です。今回はドラゴンズではエースナンバーとされている「20」です。1971(昭和46)年以降、こんな選手が付けています。星野仙一(1971~1982)、小松辰雄(1984~1994)、宣銅烈(1996~1999)、川崎憲次郎(2001~2004)、中田賢一(2005~2013)、野村亮介(2015~2017)。ちなみにもっと前に遡ると、杉下茂(1949~1960)、権藤博(1961~1969)、渡部司(1970)です。

 全てが右投手で、一部を除けばすごい顔ぶれですよね。さてそのなかで今回ピックアップするのは、川崎憲次郎投手です!!!!! ドラゴンズファンなら誰もが、この人には「裏切られた」という感想を持っているのでは。「巨人キラー」の鳴り物入りでFAでスワローズからドラゴンズに移籍。「どれだけ活躍してくれるんだろう」と大いに期待しましたが、話題になったのは2004年(落合政権1年目)の開幕投手に奇襲的に起用されたことくらい。まあ、本人も辛かったとは思いますが、ファンとしては「金返せ!」の心境ですよね。一説には星野監督が2001年に辞任した(現実的には解任された)のは、大金はたいて獲得した川崎が全く働かなかったことをフロントが厳しく追及したのが原因とも言われています。この様にドラゴンズでは全くすごくなかった川崎ですが、この川崎のすごさを知る人がいました。それは嶋田さん(←私が監督を務めるソフトボールチームの4番打者)です。その嶋田さんに津久見高校(大分)時代の川崎投手を語ってもらいました。 

 鞍手高校(福岡 嶋田さんの母校)時代、津久見高校と練習試合をしました。津久見高校はこの後にも試合があるので、2軍メンバーで挑んできたんです。(ここからはプロジェクトX風に(笑))「うちもなめられたもんだ。絶対リードして1軍を引きずりだすぞ❗」監督の斉藤昭八郎は言った…監督の思いが伝わったのか、7回表まで3対0で鞍手がリードしていた。「いける、いけるぞ」斉藤昭八郎は叫んだ…7回裏、津久見は3番の打順に1軍の代打を送ってきた…「カーン」打球はセンターバックスクリーンに消えた…続く4番にも1軍の代打、「カーン」またしてもセンターバックスクリーンに打球は消えた…5番にも1軍の代打、3連続バックスクリーンへのホームランとなった。気づけばスコアボードに10点が刻まれた。反撃したい8回のマウンドに川崎憲次郎が出てきた…投球練習が始まった瞬間ベンチは静まりかえった…「打てそうにない…」誰もがそう思った。気づけば三者連続三振だった…8回裏、奇跡的に0点で抑えて、9回表鞍手の最終回の攻撃、あっという間に2者連続三振、8回から5者連続三振で、誰一人バットに当てる事も出来なかった…「誰かバットに当てれる奴はいないのか❗」斉藤昭八郎の声に誰もが下を向いた。「代打❗嶋田❗」半分やけくそな声に嶋田はビックリした。バッターボックスに向かう嶋田…初球スライダー、スイングする嶋田…「ストライク❗」ボールが目の前で消えた…2球目、スライダー、スイングする嶋田…「ストライク❗」打てそうにない…嶋田はやけくそになり開き直った。3球目、スライダー、「コン…」当たった。結果はセカンドゴロだった…「よく当てた❗」ベンチから先輩の声がこだました。

 以上が嶋田の体験談です。本当に川崎憲次郎のスライダーは目の前から消えました。スイングしても当てるのが精一杯でした。私が今まで対戦した投手の中で間違いなくナンバーワンの投手でした。

プロ野球 日本シリーズ第4戦 ヤクルト対西武 ヤクルト・川崎憲次郎投手 =1993(平成5)年10月27日、神宮球場