まいどまいどです。昔、名将野村監督が「弱いチームはボロ勝ち、競り負けする。強いチームは競り勝ち、ボロ負けする」と言っていました。その意味ではここまで接戦を勝利している立浪竜は期待を持たせてくれますね。若い力を育てつつ勝利を目指す。なかなか難しいミッションですが、立浪監督ならやってくれそうな気がします。さて今回の背番号物語は「21」です。
松本幸行投手(1971~1979)、三枝規悦投手(1980~1982)、近藤満投手(1983~1986)、杉本正投手(1987~1990)、小島弘務投手(1991~1995)、村田勝喜投手(1996~1997)、正津英志投手(1998~2004)、樋口龍美投手(2005~2007)、チェン・ウェイン投手(2008~2011)、岡田俊哉投手(2012~現在)
ここに書いた10人全てが投手で、内5人が左投げですね。活躍した投手、しなかった投手いろいろですが、やはりピックアップするのは松本幸行(ゆきつら)投手ですねぇ。あの初の「燃えよドラゴンズ」の♬松本・渋谷のミラクル投法~♪の松本です。昭和49年には20勝9敗で優勝に大貢献してくれました。現役時代は星野仙一さんよりも好きでしたねぇ。とにかく型破りというかユニークな投手でした。①先ず投球間隔が異常に速い。良く言えばテンポが良い。捕手から返球を受け取った瞬間に次の投球モーションに入っている。なので試合時間がメチャ速い。2時間あれば終わっていることも多かった。それだけテレビ局やラジオ局泣かせの(?)投手でした。「いろいろ考えて投げても打たれる時は打たれますよ。下手な考え休むに似たり、ですよ」が本人のコメントでした(笑)。②多彩な変化球を持っていて、その握りが相手打者に見えていた。それでもそれを気にしていない。「自分でも(投げた球が)どこにいくかわからないのに、打者がわかるわけがない。握りが見えようが見えまいが一緒、一緒」と全く意に介さず。③異常にお酒が好き。昭和49年にはこんなことがありました。甲子園の阪神戦で同点の9回裏から珍しくリリーフ登板。いきなり最初のバッターにサヨナラホームランを浴びて負けてしまいました。宿舎に帰った松本は「あ~、けったくそ悪い!いくら飲んでも酔わんわ~!」と自分に対して怒りながら、浴びるほど(本人談)酒を飲んだそうです。そして何と何と、翌日の同じ阪神戦の先発を直訴。今度は2-0で見事に完封勝利。「あ~、これでようやく美味しい酒が飲める!」。チャランポランに見えて実はすごい負けず嫌いのプロ中のプロでした。④人を喰ったようなインタビュー。同じ昭和49年にこんなこともありました。やはり阪神戦(甲子園)で完投勝利を挙げた後のヒーローインタビュー。アナウンサーが「これで12勝目ですね。オールスターまであと2試合くらい投げられると思いますが、これからどうしますか?」と尋ねたところ、松本は「帰ってメシ食います」。アナウンサー「・・・(しばし絶句)。見事完投勝利の松本投手でした。放送席にお返しします」。アナウンサーとしては「そうですね、あと2つとも勝てる様にガンバリマス」という様なコメントを期待していたんでしょうね。

まあ愉快な投手でした。阪急にトレードになって引退してからどうしたんだろう?と思っていたら、2018年に星野さんが亡くなった時の追悼本で取材を受けていて写真が載っていました。👇この時もインタビューの締めは「今晩は星野さんの冥福を祈って飲みましょう」でした(笑)。ちなみにダウンタウンの松本人志は野球に全然詳しくないのですが、姓が同じなのでこの松本だけは応援していたそうです。

堀場さんご無沙汰しています。
おニューのPCから久々の投稿です。
背番号21と言えば
やっぱり私も松本幸行投手です。
彼が投げると試合終了が早かったですね~
高校生の頃、ナゴヤ球場へ友達と
ナイターを見に行き、彼が完封し8時過ぎに
試合が終わった思い出があります。
余りにも早く帰ってきたので、
母親は明日は学校があるので、
途中で帰ってきたと思ったみたいですけどね。
宗さん、ニューパソコンからのコメントをありがとうございます。ホント、お母さんが途中で帰ってきたと間違うのも無理はないですね。でも確か5年連続で2桁勝利を記録するなど、すごい投手でもありましたね。