まいどまいどです。8月15日木曜日までお仕事お休みでまったりしています。明日から8月下旬にかけて昼飲み会が何件か入っております。この暑さを乗り切るにはやはりビールしかありません。健康維持のためにも(?)昼飲み会がんばります(笑)。
さて今回のブログの更新はドラゴンズ背番号物語で、「42」を取り上げます。日本人には縁起が良くないとされる「死に」ですので、過去にこの番号を付けたのはどうしても外国人選手が多いですね。
井上重信投手(S46)、奥田修捕手(S47~48)、フレッド・クハウルア投手(S53)、西井哲夫投手(S62 )、中村弘道投手(H1)、清水雅治外野手(H2~5)、ドウェイン・ヘンリー投手(H6)、モンテ投手(H7)、嶋田章弘外野手(H8)、有働克也投手(H9~11)、メルビン・バンチ投手(H12~14)、桜井好実外野手(H15)、ドミンゴ・グスマン投手(H16~18)、サンディアゴ・ラミレス投手(H19)、ラファエル・クルス投手(H20)、トニ・ブランコ内野手(H21~24)、ブラッドリー・バーゲセン投手(H25)、アマウリ・リーバス投手(H27)、ファンハイメ投手(H28)、アレックス・ゲレーロ外野手(H29)、ソイロ・アルモンテ外野手(H30~R2)、ランディ・ロザリオ投手(R3)、ブライト健太外野手(R4~現在)
全く記憶にない選手も多いですが、当時は珍しかった外国人投手で大相撲の高見山のいとこだった左腕のフレッド・クハウルア投手、やたら大汗かいて投げていた巨漢のドウェイン・ヘンリー投手、俊足好打の外野手だった清水雅治、ナゴヤドームの天井に当てたトニ・ブランコ内野手とかは記憶に残っています。そして今回取り上げるのはメルビン・バンチ投手です。このバンチ投手と私は実はただならぬ縁があります(笑)。
H12年のシーズンから星野ドラゴンズに加わったバンチ投手。150km超えのストレートとスライダーや大きなカーブを駆使して初年度から活躍しました。来日初登板で初勝利。次の登板では何とノーヒット・ノーラン。それもその相手はマシンガン打線と言われた横浜ベイスターズでした。その後も活躍し、いきなり初年度に14勝を挙げて最多勝を獲得しました。翌年も10勝を挙げて投手陣の柱的存在になったという、誠にあっぱれな投手でした。
このバンチ投手が活躍出来た要因はその技術もさることながら、積極的にチームに溶け込もうとする姿勢が大きかった、と言われています。来日して間もなくの段階で日本語でチームメイトに話しかけていた。それも徐々に名古屋弁を使う頻度が増えたそうです。なかでも「まあええて」という言葉を、何故か好んで頻繁に使って周囲の人を笑わせていたそうです。
はい皆さん、もうここで、バンチ投手と私がただならぬ縁がある、という理由がわかりましたよね(笑)。そうです、私が監督を務めるソフトボールチーム名の「MAAEETE(まあええて)」はこのバンチ投手が名付け親(?)なんです。そもそもこのチームを他の数名と立ち上げた時(2015年 H27年)の、チーム名決定のプロセスを全く記憶していないのですが、ソフトボールチームらしからぬ、クスっと笑えるチーム名にしよう、という共通の認識があったと思います。その時に何故かこのバンチ投手のことを思い出して、「まあええて」にしようと提案したのだと思います。
話を戻しますね。このバンチ、3年目の2002年も活躍していたのですが、8月にナゴヤドームに向かう途中に体調不良を訴えて登板を回避せざるを得なくなってしまいました。診断の結果は不整脈。そのまま11月にドラゴンズを退団。野球選手としても引退しました。いやぁ破天荒な一面もあったけど、すごく真面目な選手だったんですよね。印象深いです。
いろいろとバンチについて調べていたら、こんな動画を見つけました。懐かしいです。是非、堪能してください。👇
42って日本人にはあんまり縁起の良い数字では
ないですからね~やっぱり外国人選手が
多いですよね。
それに42はMLB全球団の永久欠番ですからね。
やはり印象に残るにはノーヒッターのバンチと
黄金時代のブランコですかね。
ブライト健太には頑張って欲しいですね。
そろそろ結果を出さないと