まいどまいどです。ずっと豊田さんの連載をアップしていましたので、久しぶりのドラゴンズ背番号物語です。今回は「24」です。歴代の24番はこちら👇
氏家雅行投手(1971~1975)、梅田邦三内野手(1976~1980)、水谷啓昭投手(1981~1983)、仁村徹内野手(1984~1987)、西村英嗣投手(1988~1989)、西本聖投手(1990~1992)、佐藤秀樹投手(1993~1998)、遠藤政隆投手(1999~2006)、堂上直倫内野手(2007)、英智外野手(2008~2012)、福谷浩司投手(2013~現在)
殆どが右腕投手ですが、稀に内野手も付けていますね。1年間しかつけなかった堂上もいれば、10年間つけている福谷も。平均すれば一人当たり5年間くらいですね。で、今回ピックアップするのはその福谷浩司投手です。
この選手ほどいろいろな才能を活かしきれていない、あるいは活かしてもそれが続かない選手はいないと思います。本当に残念な選手です。先ずプロに入る前の強烈な活躍ぶりをピックアップしてみました。
★新田小学校(愛知県知多市) 夏休みの宿題は全て7月中に終わらせていた★東部中学(同上)時代 地元の強豪私学からの誘いを絶ち「文武両道を目標とする本人の意思で」地元の横須賀高校に進学★横須賀高校時代 直ぐに1年春からベンチ入り。4番でエースとなった。また、学年トップクラスの学力を持ち、AO入試で慶應義塾大学理工学部に現役で合格★慶応義塾大学時代 2年秋に防御率1.32(2位)で5勝を挙げてベストナインを受賞。3年春の対早稲田大戦で155Km/hを記録。勝ち点5での完全優勝に貢献。またこの活躍が評価され、理工学部生の模範となる活躍をした学生に贈られる「藤原賞」を受賞した。ただ、3年秋以降はストレートが走らず、また内転筋を痛めるなどして成績も振るわず。大学時代の通算成績は9勝5敗にとどまる。
当時野球部監督だった江藤省三氏は福谷のことを「本人が『勉強が7割、野球が3割』と言っていただけあって、学者が野球をやっているようなイメージがあった」と評しています。実際、履修科目の成績は全て「A」だったらしい。
そして2012年秋にドラフト1位指名でドラゴンズに入団。毎年の成績と内容を簡単に記すとこうなります。※数字は左から 勝利-敗戦-セーブ-ホールド を表します。
★2013年 0-1-0-3 内転筋を痛め、途中でキャンプを離脱。6月に一軍登録されるも7月には抹消★2014年 2-4-11-32 8月に初セーブ、9月に初勝利を挙げるなど活躍。ようやく本領を発揮★2015年 3-4-19-4 この年も引き続き救援投手として活躍★2016年 1-2-8-8 ★2017年 1-1-0-2 ★2018年 0-1-0-4 ★2019年 0-0-0-0 5月に左腰椎の椎間板ヘルニアを発症。この後はリハビリ生活を余儀なくされる★2020年 8-2-0-0 8月に1173日ぶりの勝利を挙げて復活。先発ローテーションを守り抜き、大野雄大に次ぐ8勝を記録。防御率も2.64と安定★2021年 5-10-0-0 初の開幕投手を任されるなど期待されるも、前半戦は4勝9敗と振るわず、8月には右足に打球を当て親指を骨折。そのままシーズンを終えた。昨年までの通算成績は20勝25敗38セーブ53ホールド。
チーム内でのニックネームが「教授」と呼ばれるほど、研究熱心で真面目な性格。例えば今では一般的になった「トラックマン」による投球解析ですが、この福谷は既に2017年のオフにこのトラックマンの会社を自ら訪問して、自身の投げるボールを解析していたそうです。それにより球速ではなく「球質」を見直したことで2020年の好成績に繋がったそうです。
う~ん、ホントに返す返すも惜しい。素質的には柳以上のものを持っているのに・・・。年齢は31歳。まだまだ老け込む年ではないけど、決してこの先がメチャ長いわけでもない。何とかもう一花も二花も咲かせてほしいと強烈に思っています。皆さんも是非、応援してあげてください。

待ってました!
久々の背番号物語。
24番って一人の選手が長く付けてない印象ですけど、福谷がもう10年も付けているんですね~
福谷は知多市の東部中学出身ですが、知多市出身のプロ野球選手で何故か福谷以外八幡中学の出身なんですよね~
宗さん メッセージをありがとうございました。そうなんですよ。八幡中学卒は山﨑武司と浅尾ですよね。あと誰かいましたっけ?
阪神にいた伊藤敦規が二人の先輩ですね。
あともう一人いたと思うんですけどね~