ドラゴンズ背番号物語「61」 稀代のアイデアマン 近藤貞雄

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 まいどまいどです。今回のドラゴンズ背番号物語は「61」近藤貞雄をピックアップしますが、その前に前回の「59」の上川以外の選手と「60」の選手に触れておきます。

 先ず前回ピックアップした「59」上川誠二以外の選手です。と言ってもあまり活躍した選手はいませんが、ここ数年はそこそこ活躍した選手がいますね。小さな身体を思い切り使って投げていた山本拓実投手(H30~R5途中)。個人的には好感を持っていましたが、宇佐見捕手と交換で日本ハムに移籍してしまいました。そしてその後は左腕の斎藤綱記投手がこの番号を付けています。左のサイドハンドでキレの良い投球をして、ピンチを凌いでくれます。貴重な存在です。

 次に「60」。監督やコーチが付けることが多い背番号ですが、宮下昌巳(S58 ~61)は大きな体から繰り出す重い速球で活躍しました。また今や押しも押されぬドラゴンズの切り込み隊長になった岡林勇希は入団のR2~5までの4年間、この番号を付けて大ブレイクしました。そして今この番号を付けているのは、阪神を自由契約になってドラゴンズに拾われた山本泰寛です。R6~付けています。ところでこの山本は、あることで日本でプロ野球が始まって以来唯一の選手なんです。ちょっとカンの良い方ならわかりますよね。何とセ・リーグいや日本の老舗の3球団(読売、阪神、中日)を全て現役で経験しているということです。高校も大学も慶応ですから、実は超すごいサラブレッドなんですよ。

 で本題です。「61」の近藤貞雄です。近藤は愛知県岡崎市の出身。現役時代は西鉄や巨人、中日に在籍しました。現役引退後は中日とロッテでコーチを歴任。1972(S47)年、与那嶺監督に招かれて2回目の中日投手コーチとなりました。最初に近藤コーチを見た時、与那嶺監督が温厚な雰囲気だったので余計に怖そうで印象が良くなかった記憶があります。「投手の肩は消耗品」と考え、当時は画期的だった「投手分業制」を提唱しました。当時デビューしたての鈴木孝政や竹田和史をリリーフオンリーで起用したのも成功し、見事に20年ぶりに優勝しました。

 その後、一度はCBCで野球解説者となりましたが、1981(S56)年から監督として現場復帰しました。今度は「一芸に秀でた選手を起用する」と宣言し、各自に自分の長所を伸ばすことを要求し、「アメフト野球」「ツープラトン野球」なるものを強く推し進めました。これは、試合の序盤~中盤は打力に秀でた攻撃的な選手を起用(オフェンス)し、リードしたら守りに秀でた選手を起用し逃げ切る(ディフェンス)という内容です。1年目の春先はこれが面白いように的中し、首位戦線をかき回しました。しかし徐々に失速。最終的には5位に終わりましたが、対巨人戦には12勝11敗3分と勝ち越し、巨人の完全優勝を阻止しました。これは痛快でした。

 そして翌1982(S57)年は前年から積極的に起用した若手(田尾、平野、宇野、中尾、上川、都、牛島、小松、郭など)が成長。終盤には谷沢や大島などのベテラン勢も底力を見せて打線を牽引。セ・リーグ最終戦のVS横浜戦に8-0で勝って見事に8年ぶりの劇的優勝を飾りました。何度も何度もペナントレースから脱落しそうになりながらも強かさを見せた当時のチームをマスコミは「野武士軍団」と呼びました。またこの試合の試合前には全選手に「緊張するな、と言っても無理なんだから、全員缶ビールをグイっと飲んで度胸を据えて試合に臨め!」と前代未聞の訓示をおこない、自らビールを飲んだという、有名な野武士軍団的エピソードもあります。

 翌1983(S58)年は連覇を目指しましたが、なかなかチームの歯車がかみ合わず。そのイライラもあってか春先のある試合では、エラーをした遊撃の宇野と近藤監督がマウンド上で掴み合いの喧嘩寸前になったこともありました。もうハチャメチャでした。結局、この年を最後に近藤監督は退団。2度と中日の監督になることはありませんでした。しかし我々ファンに強烈な印象を残してくれた近藤監督の3年間でした。

 ちなみにこの近藤監督。ドラゴンズの監督を辞めてからも他のチーム(横浜大洋と日本ハム)からオファーがありました。横浜大洋では1985(S60)から2年間。この時は高木豊、加藤博一、屋敷要の俊足打者3人を1~3番に起用。当時流行っていたスーパーカーになぞらえて「スーパーカートリオ」と名付けて売り出しました。その後の日本ハムでは1989(H1)から3年間、指揮を執りました。旧知の間柄でトレードで日本ハムに移籍していた大島康徳が本塁打を打った時に、熱烈な抱擁とキスで出迎えるなどして球場を沸かせるなど、どこまでもファンサービスを意識した監督でした。

 最後に。近藤貞雄以外の「61」は著名な選手はいません。敢えて言うなら、大型左腕投手でありながら体をくの字に折る様なサイドスローで、主に左打者キラーのワンポイントとして登板した北野勝則(H2~10)。北野とは対照的に真上から投げていた左腕投手の久本祐一(H18~24)。この2人くらいですね。